ここに二人の男女が、銀座あたりで逢ったとする。それを絵にする場合、上から見た方がいいか、横からのほうがいいか、夫れとも風景を主にして人物を小さく描くとか、絵としてのねらいをどこに持つていつて、余白をどの程度とつたらいいとか、コンポジションの面白さと云うものが、僕らの場合、大体その絵の死活を左右する。つまり、電線一本を入れた方がいいか悪いかに、相当な時間を掛けるのである。
だから待って居る編集者は、もう出来ているのに此の人は何をしているんだろう。と云う顔で、『早く印刷所に行かないと間に合いませんので、もう結構です…』等と云って急がせる。そのあげくの果、本になって見ると真黒になつていたりする。絵描きとしては、泣くに泣けない。
挿絵画家の場が、雑誌である限り、その製版に気を使い、紙を問題にしなければならない。その点小説の方は、活字であるから紙が少々悪かろうが何だろうが、読めさえすれば、作者の云い度い事は判る。挿絵は原画の勝負でなく、印刷され本になってからが勝負なのである。
2 十九世紀以後のフランスの画家の中には、随分風俗画家としての、立派な仕事をした人が居る。ドーミエやロップスの様にするどい社会風刺をしたものや、ロートレックの娼婦だとか、キャバレーの唄い手を描いたものだとか。ドガの洗濯女なぞは、単に二人の女が洗濯籠を持っている。それ丈のものなのだが、フランスの下町の雰囲気が、実によく出ている。
この外にスタンランだとかフオラン、ムンク、と数え上げれば切りがない。日本にも画材はいくらも転がつているのである。風俗画家と云うと、馬鹿に古くさい感じがするが、これこそ吾々のやるべき仕事だと思う。油絵と謂えば、シュールレアリズムであり、アブストラクトである今日、社会の下積みになっている人々の、悲しみや、怒りを、生活のあかを、描くべきではなかろうか。
吾々挿絵画家は、いや自分自身そう想うのであるが、あまりにも家に閉じ籠り過ぎて、ふやけ切つている様だ。もっと人間を知らなければならない。社会を眼で見るのではなくつて、眼で物を嗅がなければ一人前の挿絵画家として、通用市内のじやなかろうか、と、おそまき乍ら考えたので、今年こそは褌をしめ直して、半人前を三分の二人前位まで漕ぎつけ度いと、思つている。