清水三重三が「さしゑ」創刊号に「挿美会のことなど」と題して、挿絵論等に交えて、当時の挿絵画家を取り巻く様々な環境似ついて書いているので、テキストに起してみよう。



清水三重三「挿美会のことなど」(「さしゑ」創刊号、昭和30年)


「挿絵を画く新進が集って「挿美会」を結成し、良き挿絵を作る目的にて、相互の親睦、研究、啓発に資するという。誠に羨ましい事です。更に、挿絵と挿画家の位置を、新しく世衆に認識させようという。我等も大賛成なり。


 挿画家は、その長若巧拙に係らず、各々が互いに一国一城の主なり。純正美術の展覧会画家のような、師弟、先、後輩間の、ウルサイ礼儀以上の儀礼や、卑屈な遠慮、苦労などに煩わされず、その点だけは、まことに自由、民主的な楽土である。(大体挿絵画家志望の者は、展覧会画家の、先輩への卑屈な儀礼や、作品押売の乞食態度を嫌つての結果が多いと思います。つまり、我儘で潔癖が多いと謂えましょう。)


 しかし、そこにまた長所も短所もある。未完成の裡に、いい気になつて反り返つても、誰も何とも言つて呉れ手の無きは、また淋しいことなり。苦労なくして進歩や上達は、大天才でもない限り、中々に難しかろう。


一国一城の主は、皆が互いに我儘の、唯我独尊恐いものなし。これが禍いして、今迄真の団結など出来なかつたかもしれぬ。その中に「挿美会」の存在は、まことに珍しい悦びです。


 会員仲善く、現在の緊張を持続し、相互に鞭撻、激励、啓発し合って、良い挿絵を画き、挿絵界への刺戟となり、将来先達ともなつて頂き度し、と祈ります。