2009-01-01から1年間の記事一覧

彼の関係した一世一代は実にこの『華族画報』であつたが、予が彼を話せる男と知つたのは漱石の『猫』(『吾輩ハ猫デアル』)の縮刷版を、彼が手がけたことがあると知つてからである。

彼も勿論一般製本所として円本もやれば、大量物にも応じてゐたが、一度『書痴の散歩』の下手ものに手をつけてからは、全く予の趣味に共鳴して了ひ、それ以来他から の註文も余り喜ばなくなつて、こちらの出版はつきに一度出たり出なかつたりの道楽的のやり方…

ゲテ造本の女房役・製本家中村重義について書かれた文献は少ない。そんな中、齊藤昌三が、「書物展望」(昭和9年12月号)に「少雨荘の背景」として書いたものがあるので、転載させてもらおう。

「よきにもあれ、あしきにもあれ、自分の装釘界に対して試みた趣味が近年の斯界(しかい)に多少の刺戟を与へたといふことは愉快である。或る人は予輩のの趣味を発揮し過ぎたともいひ、奇に走り過ぎたとも評してゐるといふが、幸か不幸か内容を殺すようなこ…

ミノムシ30,000匹も集めた小島烏水『書斎の岳人』(書物展望社、昭9年)

蓑虫を背に使った小島烏水『書斎の岳人』(書物展望社、昭和9年)、背の部分を見ていただくと、一辺が2cmくらいの◇模様を確認できるものと思います。実は、これがミノムシの蓑一匹分なのです。この背には、30匹ほど使われれており、限定980部なので、約3万匹…

白樺装は難しい。そんな白樺装丁失敗談を書いた熊谷武至「装幀を變更した歌集」を紹介しよう。

「書物展望社が横光利一の『雅歌』を白樺の装幀で出版してから時日もたつた。その時、材料の白樺は初冬わざわざ信州へ人を派して伐り取らしたと傳へられ、岩本氏も雑誌『書物展望』の編集後記で『何しろ始めての試み故、製本所でも大骨折りで』と云われてゐ…

白樺の皮裝、横光利一『雅歌』(書物展望社、昭和7年12月)は、後に失敗作であることがに分った、という。

どの資材も初めて使うものばかりで、そのつど材料に応じ産地に出張して調査したり、糊を研究したりと、一朝一夕に完成したものではなさそうだ。私も、白樺の皮を購入してもっているが、どうやって加工していいのか分らない。齊藤の苦心談に耳を傾けて見よう…

斎藤昌三『書痴の散歩』(書物展望社、昭和7年)は、伏字本となり、売れずに見切本になったという。昌三随筆の題一冊目は、手痛い洗礼を受けた辛いデビューだったようだ。

「著者から聞いた刊行時の配本事情の一端を記した旧蔵者(不明)の鉛筆書きは興味をそそる。“傘の図柄を定めてから番号を割り当てたのは四、五冊の由、一番(徳富)蘇峰、二番禿(徹)氏とこの本だった”とある。なお、伏字箇所に著者の書き入れがあった。同…

白樺の皮、蓑虫、紙型、古新聞などなど、齊藤昌三関連本は装丁資材の博物館

・番傘を400本も集めた斎藤昌三『書痴の散歩』(書物展望社、昭和7年) ・白樺の皮裝、横光利一『雅歌』(書物展望社、』昭和7年12月) ・ミノムシ30,000匹も集めた小島烏水『書斎の岳人』(書物展望社、昭9年) ・装画をネームプレート仕様にして嵌入した齊…

齊藤昌三が関係している本には何かと「最初の○○」という肩書きがついて回る。書物展望社から刊行された「ゲテ本の最初」が、内田魯庵『紙魚繁昌記』(昭和7年2月)で「自身の第一随筆集」が『書痴の散歩』(昭和7年11月)で、「ゲテ本の最初」が山中笑『共古随筆』(温故書屋、昭和3年)という。

最近入手した三田村鳶魚『自由戀愛の復活』(崇文堂、大正13年5月)に、装丁家の名前は見当たらない。しかし、齊藤昌三「小雨荘裝釘記」(「書物展望」書物展望社、昭和9年12月号)には、次のように記されている。 齊藤昌三の最初の装丁本? 三田村鳶魚『自…

おかげさまで、10月25日に予定されている神奈川県立図書館での講演会は「満員御礼!」になりました。ありがとうございます。

11月にJR中央線・日野駅前にある実践女子学園生涯学習センターで「美しい本の話」と題する講座を3回に渡って開催予定。毎回たくさんの本をもっていきますので、実物を手に取ってご覧下さい。

・場所=〒191-0061東京都日野市大坂上1-33-1(JR中央線・日野駅前) ・受講料=3,150円 ・日 程=11月2日、11月16日、11月30日(いずれも10:30〜12:00) ・内 容=1.洋装本の伝来と装丁の始まり ─橋口五葉の漱石本とアールヌーボー─ 2.幾何学模様の装丁は…

❼麝香の香りのする特殊印刷『紙魚地獄』(書痴往来社、昭和34年9月)

造本:峯村幸造、齊藤昌三『紙魚地獄』(書痴往来社、昭和34年9月)。隅々まで神経の行き届いた繊細な装丁だと思ったら、なんと、昌三ではなく、峯村が装丁を担当していた。納得。 巻末にある峯村幸造の跋文では 「私にとってはこの本は処女刊行でもあり翁の…

❻九代目団十郎愛用品古渡更紗張付け『書斎随歩』(書物展望社、昭和19年3月)

『書斎随歩』(書物展望社、昭和19年3月)

❺友染の型紙を使用、見返しはその型紙で刷ったもの『紙魚部隊』(書物展望社、昭和13年8月)

『紙魚部隊』(書物展望社、昭和13年8月) 装丁については前回掲載

私の所有している本の裏表紙には「天野敬太郎」が発信人の封筒が使われているのが分る。もちろん住所も判ってしまう。

表表紙のほうは解読不能。 住所から判断して、天野敬太郎(1901-1992)、書誌学者、索引家。大正年間京大図書館に入って以来、一生涯を文献データ(書誌)の採取とその編纂・刊行に費やし、1945~2003年に刊行された書誌24772点を網羅的に収録した書誌の書誌『…

❹齋藤昌三宛の古封筒を使用『紙魚供養』(書物展望社、昭和11年8月)

序文に 「茲に四度目の随筆集『紙魚供養』を上梓することになった。……扨、本書の外装は、この數年間に亘り、小生並びに小社宛の郵便の封筒を活用したもので、主として文筆家や藝術家方面のものを選んで張合せたので、從つて同一なものは一冊も出来ない譯けで…

❸漆塗り研ぎ出し布目裝『書淫行状記』(書物展望社、昭和10年1月)

装丁については前回掲載 『書淫行状記』(書物展望社、昭和10年1月)

❸『書淫行状記』(書物展望社、昭和10年1月)

『書淫行状記』(書物展望社、昭和10年1月) 「後記」には、「装幀は純日本趣味を出して見たく、今度は漆塗りを試みてみた。それも單なる漆塗りでなく研出布目塗りにして、萬全を期したつもりであるが、果たして出来上がりは、如何か。背文字も元来は漆でか…

❷『閑版書国巡礼記』(書物展望社、昭和8年12月)

『閑板書国巡礼記』のあとがき「巡礼を終えて」には「装幀に試みた蚊帳は、この夏腹案したもので、この寒さに向かって蚊帳でもあるまいと冷笑されやうが、ヒト様にはこんな失禮な装幀を応用するのは申譯ないから、自分の物に仕様するより他はないと決行した…

齋藤昌三七部作の中からゲテ本として、強い特徴のある本を5冊選んで紹介しよう。

❶『書痴の散歩』 『書痴の散歩』(書物展望社、昭和7年11月) この本は昌三の最初の随筆集であり、書物展望社のゲテ本としては、『恭古随筆』『魯庵随筆紙魚繁昌記』『魯庵随筆読書放浪』に続く、第4番目の廃物利用の装丁になる。思い入れがあるようで、この…

「ゲテ本って一体何?」。河原淳「愛書家のための変態辞典」(『別冊太陽─本の美』平凡社、1986年)から解説を引用してみると、「げてそうほん【げて装本】上手物ではない、巧まずして面白いブックデザイン。昭和六年刊の酒井潔『日本歓楽郷案内』は、見返しにセピア色の女の写真が貼ってあり、雁だれ表紙に窓があき、のぞける仕掛けになっている。昭和五年夏に平凡社が、発行した『風俗雑誌』は、表紙の女に蚊帳様の網がかぶせてある。」

とある。 1部だけでもゲテ本と呼ぶのか、一体いつごろからこの言葉が使われ、いつごろからゲテ本があったのか、などなど説明不足で疑問の残る解説だが、要は「奇をてらった装丁」と言うような意味なのだろう。 ゲテ本の本家本元の齊藤昌三自身は 「常道に外…

昌三没後12年目に坂本篤の補注を加えて発行された亀山巌装丁、坂本篤補注、斎藤昌三『36人の好色家』(温故書屋・坂本篤、昭和48年)には、坂本篤補注「少雨荘桃哉」の項に、昌三がゲテ本にはまるきっかけになった本の話が書いてある(少雨荘桃哉は斎藤昌三の号)。その部分を一部引用させてもらうと、こうだ。

亀山巌:装幀、齋藤昌三『36人の好色家』(有光書房、昭和48年) 「昌三が、珍装幀家といわれる最初の本は、山中笑翁(えむ)の『共古随筆』であろう。山中笑翁は甲府の教会の牧師も勤め、後に出版された『甲府の落葉』なる稿本もあったことより、山梨より蚕…

齋藤昌三自身が「装幀漫評」『小雨荘随筆 紙魚部隊』(書物展望社、昭和13年8月20日)に、ゲテ本創作にかかわっていった動機を語っているので、引用してみよう。

齋藤昌三『小雨荘随筆 紙魚部隊』(書物展望社、昭和13年8月20日) 「活版術の普及と共に洋風装幀の渡来してから既に六十年にもなるが、他の文化事業の発展に比較して、造本術は果たして向上してゐるのだろうか。實は大震災後の文獻振興熱に煽られて、圓本亂…

第55回江戸川乱歩賞授賞式が帝国ホテルで、昨夜開催され、出席してきた。受賞作は遠藤武文『プリズン・トリック』(講談社、2009年9月3日)、交通刑務所内で起きた、密室殺人事件を扱ったもの。遠藤氏は、1966年長野県生まれ。早稲田大学政経学部卒業、現在は、損害保険会社勤務。なるほど!損保の社員だから、交通刑務所関連の情報を入手しやすかったのか? すでに65,000部も売れているそうで、あいさつをした東野圭吾氏がその売れた部数を悔しそうに紹介して会場を笑わせた。審査委員の代表として審査の経緯を報告した内田康夫

第55回江戸川乱歩賞受章者・遠藤武文氏の挨拶。 遠藤武文『プリズン・トリック』(講談社、2009年9月3日)、装丁:岡孝治 会場には、京極夏彦氏、西村京太郎氏、天童荒太氏、恩田陸氏、石田衣良氏など、いまを時めく人気作家たちがたくさんいて、なんとも華…

こうした書物の画一化に抗するように、斎藤昌三の書物展望社が雑誌発行とは別に世に問うたのが、限定本刊行だった。その最初の登場が1932年(昭和7年)にでた内田魯庵著、斎藤昌三・柳田泉編『魯庵随筆 紙魚繁昌記』である。……この内田魯庵の書物エッセーのセレクションを彼の出版事業の第一弾とし、酒袋を利用した装丁、見返しには和本の反古を使って、紙魚ちらしの凝った本作りを行ったのである。」

内田魯庵著、斎藤昌三・柳田泉編『魯庵随筆 続紙魚繁昌記』(書物展望社、昭和9年)、”続紙魚繁昌記”だが、装丁はほぼ”紙魚繁昌記”と同じだ。背の部分の虫食いは後から出来たものではなく、材料の時から開いていた穴だ。 ◆『魯庵随筆 紙魚繁昌記』普及版跋よ…

齊藤昌三をゲテ本創作へと走らせた動機は何だったのか、奇抜な資材を使ったゲテ本とよばれる本が誕生するには、それなりの背景があったはず。限定本黄金時代を準備するファクターとは一体なんだったのだろうか、探ってみよう。

『書物の近代』等で知られる紅野謙介氏は「帝都東京に壊滅的な打撃を加えた1922(大正12)年の関東大震災も、新しい都市計画へ構想を膨らませリ一方、失われた明治に対する愛惜の情をかき立てた。……とりわけ帝国大学図書館をはじめ有数の図書館・文庫が炎上…

中一弥氏と師匠の小田富弥(1895[明治28]〜1990[平成2]年)が、同じ「娯楽倶楽部」(娯楽社、昭和23年)誌上で共演しているのを見つけ、僅か50ページほどの冊子にしては少々お高い感じがしたが、購入してきた。帰宅して読んでいるうちに、この本は41ページから44ページまで、切り取られていたことがわかった。ビニールに容れて売るときは気を付けてけてくださいよ、芳林文庫さん。

表紙は今村恒美が描いているが、何となく中一弥氏の挿絵が載っていそうな気がしたので、ガラスケースの中に展示されている上にビニール袋に入っているという気のいれようの展示だったが、思いきって店員さんに声をかけて拝見させてもらった。 表紙画:今村恒…

■11月にJR中央線・日野駅前にある実践女子学園生涯学習センターで「美しい本の話」と題する講座を3回に渡って開催予定。毎回たくさんの本をもっていきますので、実物を手に取ってご覧下さい。

・受講料=3,150円 ・日 程=11月2日、11月16日、11月30日(いずれも10:30〜12:00) ・内 容=1.洋装本の伝来と装丁の始まり ─橋口五葉の漱石本とアールヌーボー─ 2.幾何学模様の装丁は今でも斬新 ─恩地考四郎の前衛美術装丁─ 3.廃物を利用した豪華な装丁 …

斎藤昌三といえば、「愛書趣味」「書物展望」などの雑誌及び単行本の編集をする傍ら、たくさんの書物に関する執筆家として知られている。が、「書物展望社」を主宰し特異な資材を使ったゲテ本などと揶揄されることさえもある美しい限定本の造本家としての名声も高い。ゲテ本の中でも特に良く知られているのは、古番傘を使った齊藤昌三『書痴の散歩』(書物展望社、昭和7年)と筍の皮を使った木村毅『西園寺公望』(書物展望社、昭和8年)とは齊藤昌三装丁の双璧といっても良いだろう。多くの評論家に酷評された本であり、悪評高き美しい本は、まさ

齊藤昌三『書痴の散歩』(書物展望社、昭和7年) 木村毅『西園寺公望』(書物展望社、昭和8年) これらの本を実際に製本したのは、齊藤昌三が、製本部と読んでいる中村重義で、素材をさがしたり、それをどうやって加工したらいいのかと腐心し、齊藤と一心同…

11月にJR日野駅前にある実践女子学園生涯学習センターで「美しい本の話」と題する講座を3回に渡って開催予定。毎回たくさんの本をもっていきますので、実物を手に取ってご覧下さい。

受講料=3,150円 ・日 程=11月2日、11月16日、11月30日(いずれも10:30〜12:00)・内 容=1.洋装本の伝来と装丁の始まり ─橋口五葉の漱石本とアールヌーボー─ 2.幾何学模様の装丁は今でも斬新 ─恩地考四郎の前衛美術装丁─ 3.廃物を利用した豪華な装丁 ─番…

昭和16年(30歳)の時に野村胡堂「銭形平次捕物控」(「オール読物」連載)の挿絵を担当し、コンテ(鉛筆)を使って描いた話は一度書いた。が、同じ「銭形平次捕物控」が『国民の文学 第6巻』(河出書房、昭和43年2月)に入っているのを見つけた。「太陽」に連載された「男振」を探して早稲田の古書街を散策しているときに、店頭の棚の下段に、どこか見覚えのある絵があるのを見つけた。これはまちがいない!そう思うと古書価100円だけを確かめ、挿絵家名を確認もせずに購入した。

この全集には18点の挿絵(うち8点がカラー)が、あらたに描き直されて掲載されている。 中一弥:画、野村胡堂「銭形平次捕物控」(「オール読物」連載、昭和16年〜)30歳30歳の時の絵と、四半世紀をすぎた56歳の時の同じタイトルの絵を見比べてみると、線が…