斎藤昌三『書痴の散歩』(書物展望社、昭和7年)は、伏字本となり、売れずに見切本になったという。昌三随筆の題一冊目は、手痛い洗礼を受けた辛いデビューだったようだ。


「著者から聞いた刊行時の配本事情の一端を記した旧蔵者(不明)の鉛筆書きは興味をそそる。“傘の図柄を定めてから番号を割り当てたのは四、五冊の由、一番(徳富)蘇峰、二番禿(徹)氏とこの本だった”とある。なお、伏字箇所に著者の書き入れがあった。同書をお持ちの方の参考になればと思い紹介する。
二三二頁四行十七字目『○○○○(幸徳秋水)の蔵書印……』
同ページ七行三字目「大○(逆)文庫」……等
色あせたインキが、遥か遠い灰色時代の爪痕をしのばせ、一瞬物悲しく私の目を曇らせる。半面、先人の貴重な遺産を目前にして、コレクターしか味得出来ぬ喜悦を謳歌してしまう。」(城市郎『発禁本曼荼羅河出書房新社、1993年9月)


と、限定番号1番と2番の持ち主が判り、『書痴の散歩』に伏字があることを、手描きで書いてある情報から入手できた、古書のコレクターならではの喜びを書いている。


さらに、刊行当時に昌三との会話があったらしく、
「この立派な書容を誇るゲテ装の秀作も、献呈するのが多くて(そういえば、今でも書物展望社の一連の献呈本がよく出廻るのに気がつかれるであろう)思ったほど捌けず、揚句の果ては、資金不足のため、借金のかたに二束三文でもっていかれ、数年後には手付かずの同書が、どっと極美本で市場を賑わして、忽ち売り切れたとの事。儲けたのは、現在も隆盛を極める見切本の卸問屋(を名指しで)だけだったと、最後まで当時の苦い経験を引きずりながら生きた版元の少雨叟が、晩年私に零(こぼ)された無念の言葉が忘れられない。」(前掲『発禁本曼荼羅』)
と、昌三の無念が伝わってくる文章だ。