2009-10-09から1日間の記事一覧
蓑虫を背に使った小島烏水『書斎の岳人』(書物展望社、昭和9年)、背の部分を見ていただくと、一辺が2cmくらいの◇模様を確認できるものと思います。実は、これがミノムシの蓑一匹分なのです。この背には、30匹ほど使われれており、限定980部なので、約3万匹…
「書物展望社が横光利一の『雅歌』を白樺の装幀で出版してから時日もたつた。その時、材料の白樺は初冬わざわざ信州へ人を派して伐り取らしたと傳へられ、岩本氏も雑誌『書物展望』の編集後記で『何しろ始めての試み故、製本所でも大骨折りで』と云われてゐ…
どの資材も初めて使うものばかりで、そのつど材料に応じ産地に出張して調査したり、糊を研究したりと、一朝一夕に完成したものではなさそうだ。私も、白樺の皮を購入してもっているが、どうやって加工していいのか分らない。齊藤の苦心談に耳を傾けて見よう…
「著者から聞いた刊行時の配本事情の一端を記した旧蔵者(不明)の鉛筆書きは興味をそそる。“傘の図柄を定めてから番号を割り当てたのは四、五冊の由、一番(徳富)蘇峰、二番禿(徹)氏とこの本だった”とある。なお、伏字箇所に著者の書き入れがあった。同…
・番傘を400本も集めた斎藤昌三『書痴の散歩』(書物展望社、昭和7年) ・白樺の皮裝、横光利一『雅歌』(書物展望社、』昭和7年12月) ・ミノムシ30,000匹も集めた小島烏水『書斎の岳人』(書物展望社、昭9年) ・装画をネームプレート仕様にして嵌入した齊…
最近入手した三田村鳶魚『自由戀愛の復活』(崇文堂、大正13年5月)に、装丁家の名前は見当たらない。しかし、齊藤昌三「小雨荘裝釘記」(「書物展望」書物展望社、昭和9年12月号)には、次のように記されている。 齊藤昌三の最初の装丁本? 三田村鳶魚『自…