白樺の皮裝、横光利一『雅歌』(書物展望社、昭和7年12月)は、後に失敗作であることがに分った、という。


どの資材も初めて使うものばかりで、そのつど材料に応じ産地に出張して調査したり、糊を研究したりと、一朝一夕に完成したものではなさそうだ。私も、白樺の皮を購入してもっているが、どうやって加工していいのか分らない。齊藤の苦心談に耳を傾けて見よう。
「僕が白樺の皮を外装に試みた時は、未だ曙山の『植物叢書』を知らなかった際で一度ならず二度ならず不満に終って三度目に稍々成功したのも、一部の愛書家はご承知であろう。


この最初は横光利一の『雅歌』で、昭和七年の出版である。これは白樺を表は背の側に三分の一、裏面は背寄りに三分の二の廣さで、背貼りを兼ねた装法にしたが肌の斑紋の為に横目にしたので、今日から見れば折返しにふあんがあった。
第二はその翌年に學藝社から出した矢野峰人の大判詩集『しるゑつと』で、これは背を白のキャンバスにして、平を前とは逆の目の白樺で貼り、見返しを揉金にしたので豪華な觀はあつたが、どうも表面に艶のないのが缺點であつた。
然るに三度目は昭和十五年に、伊藤凍魚の俳句集を裝幀するに當り、著者が樺太の人であり、題名が『花樺』といふところから、どうしても白樺を使つて見たくなり、厳冬の頃の白樺を樺太から皮で直送して貰つて、再び横目で背貼りにして初めて快心の効果が擧げられたのだが、前の二書の時は原木で信州産をとり寄せて、皮剥ぎしたのは、春と秋であつたのを三度目のは冬だつたので、白樺そのものゝ粉のない艶の最も出る時期であつたことを知り、加工にも無理でなかったことを自ら覚つた。僕としては三度も相似たもので試作した例は他にないが、この三度とも製本者は異なつてゐた。」(齊藤昌三『書斎随歩』、書物展望社昭和19年


と、あり、『雅歌』は初めて白樺を使った失敗作であったようだ。