中一弥氏の40歳代は挿絵の絶頂期

尾崎秀樹『さしえの50年』(平凡社、1987年)には昭和元年から50年までに活躍した88人のさしえ画家たちのさしえとプロフィールがきさいされており、その中に中一弥も紹介されている。そこには、「村上元三池波正太郎と組むことがおおく、村上元三
「大久保彦左衛門」(*「朝日新聞」S35年〜36年49歳)
「五彩の図絵」(*「朝日新聞」S48〜49年)62歳
池波正太郎
剣客商売」(*「小説新潮」S47〜平成元年61歳)
などは有名だ。元禄以前を得意とするが、時代考証の確かさでも定評がある。」とあり、これらが、中氏の代表作ともいえるのだろう。
ちなみに『名作挿絵全集 第9巻昭和戦後・時代小説』(平凡社、1981年)には、「代表作に
「武将列伝」(*海音寺潮五郎、『オール読物』S34〜35年48歳)
「天の火柱」(*村上元三、「週刊現代」S38〜39年52歳)
「霧隠仁左衛門」(*池波正太郎、「週刊新潮」S47〜49年61歳)
などがある。」と、記されている(*は筆者が記入)。



中一弥:画、村上元三「大久保彦左衛門」(「朝日新聞昭和35年〜36年49歳)



中一弥:画、村上元三「五彩の図絵」(「朝日新聞」昭和48〜49年62歳)



中一弥:画、池波正太郎「霧隠仁左衛門」(「週刊新潮」昭和47〜49年61歳)


いずれも長篇大作の挿絵を担当したということでは代表的作品と言えるだろうが、しかし、絵がいちばん素晴らしい時期、絶頂期は必ずしもこれらの挿絵を描いたころだとはとは思えない。



中一弥:画、村上元三千姫」(「主婦の友」、昭和27年1月41歳)


村上元三千姫」の挿絵などは、掲載スペースが大きいので、原画も大きいものと思われ、画家の気のいれようも違ってくるというもの。その影響があるとは言え、構図といい、細部の表現といい、人物の表情といい、いずれを取ってもみごととしか言いようがない。気力、体力にキャリアが加わって、最も充実していると思われる昭和26〜35年の10年間、つまり40代に描かれた作品は、絶頂期の作品と言えるのではないだろうか。



中一弥:画、村上元三千姫」(「主婦の友」、S27年1月41歳)

中氏自身が「年を取ると筆がもてなくなるんですよ。五十代の初めに、……ペンで描くようになりました。……池波正太郎近藤勇白書」からペンを使って描くようになった。」(前掲『挿絵画家・中一弥』)といっているように、五十代になると本人も体力の衰えを感じだしてきていたようだ。


40歳代(昭和26〜35年)の代表的な新聞・雑誌連載作品は、
村上元三『花頭巾』(「中部日本新聞」ほかに連載、昭和30〜31年41歳)
村上元三『三界飛脚』(「読売新聞」、昭和32〜34年46歳)
海音寺潮五郎『武将列伝』(『オール読物』、昭和34〜35年48歳)
村上元三『大久保彦左衛門』(「朝日新聞」昭和35〜36年49歳)
などがある。



中一弥:画、村上元三『花頭巾』(「中部日本新聞」ほかに連載、S30〜31年)



中一弥:画、村上元三『大久保彦左衛門』(「朝日新聞」S35〜36年)