昭和46年、中一弥氏60歳の時に「長谷川伸賞」を受賞した。長谷川伸賞については、小説家、児童文学作家であり、動物を主人公とした「動物文学」「動物小説」というジャンルを確立させ、椋鳩十と並び称される戸川幸夫が開会式で「故長谷川伸先生を記念して創設され、文学、演劇の進歩、向上のために、研鑽と業績によって貢献した人、また傑れた実績を持ちながら、つねに縁の下の力持ちとして脚光のかげに隠れているひとと、有力有望な新人の顕彰をおこなうものですが、第六回の本年は、四十年間ひたすら、時代小説のさし絵に精進されてきた中一弥



『大衆文藝』(新鷹会、昭和46年8月号)、長谷川伸賞授賞式、右が中氏。写真:青山与平



『大衆文藝』(新鷹会、昭和46年8月号)、懇親会で土師清二と語り合う中氏。(写真:青山与平)


「銓衡経過」として、村上元三は「今回この賞は、さし絵画家として四十年間の長きにわたって、大衆文学に協力し、美しい花を添えてくださった中一弥画伯にお贈りすることにしました。ご承知のように、中さんは、お若いころから直木三十五村松蕉風など、われわの先輩たちの作品のさし絵を描き、現在も第一線に活躍されて、わたくしども時代物の作家がみな、おせわになっています。中さんは、おとなしくて、じみなお人柄であり、その画風も、きわめて手がたく本格的なものであります。とくに時代考証をきびしくやってくださいますので、わたくしども安心しておまかせするができます。今回の受賞については、これまでの五回と同様、各界の多くの方々、とくに作家と、さし絵画家からご意見をお聞きして、何人かの候補者の中から次第にしぼって行き、最終的に『中さんへ』と、満場一致で決定を見たのですが、さいわい、各方面から『真に長谷川伸賞にふさわしい、いい人を選びましたね』と云っていただけまして、わたくしどもも喜んでおります。」(『大衆文藝』新鷹会、昭和46年8月号)と、それまで「花頭巾」「三界飛脚」「大久保彦左衛門」「天の火柱」など、たくさんの作品で中氏とコンビを組んできた村上らしい挨拶になった。



『大衆文藝』(新鷹会、昭和46年8月号)、第8回長谷川伸の会会場風景、(写真:青山与平)



挿絵画家であり・小田富弥の弟子をしていたころの弟子仲間でもあり、ライバルでもある野口昂明の祝辞が再録され『大衆文藝』に掲載されている。「中さん、本日はほんとうにおめでとうございます。さし絵の仕事を四十年もつづけているのは、岩田専太郎氏をのぞけば、最長の記録ではないかとおもいます。とにかく私がさし絵画家を志したころには、中さんはもう、現役としてバリバリ仕事をされていましたが、現在も第一線にあって、じみではありますが、正統を踏まえたいいさし絵を描きつづけられていること、わたしは尊敬していますが、長谷川伸賞はまことにいいひとに贈ってくださったと、仲間として感謝いたします。」と、後輩として先輩を讃えた。


受賞とほぼ同じ時期に描いた装画が手もとにあったので、掲載します。この受賞のころが画歴40年で、この後もさらにほぼ40年間も現役のさし絵画家として描きつづけているとは、驚異的な記録といわざるを得ない。



中一弥:画、海音寺潮五郎『かぶき大名』(講談社、昭和47年)