所沢の古書市で、多田裕計『世界文学全集26 織田信長』(講談社、昭和36年8月)をさりげなく手にしてパラパラと挿絵家の名前を探したら中一弥とあった。こんなことは、そう頻繁にあるわけではない。欲しい本が1冊も無く、釣りで言う「坊主」のときには本当にがっかりする。が、今回のように予期しない掘り出し物の場合はかなり嬉しい。気分がいいせいか、絵までもが、品のあるいい絵に見えてきてしまう。



中一弥:画、多田裕計『世界文学全集26 織田信長』(講談社昭和36年)函



中一弥:画、多田裕計『世界文学全集26 織田信長』(講談社昭和36年)口絵


この本には、中氏は本文中の挿絵もたくさん描いている。昭和36年1月に50歳を迎えており、私が唱えている40歳代最盛期説でいうぎりぎり最盛期の絵だ。勢いのある数点を掲載してみよう。


小田富弥張りに動きのある大胆な絵で、品格さえも加えた最盛期を思わせる見事な絵だ。中氏自身が筆を使うのが難しくなった、という絶頂期からの惜別の基準となる証しでもある「ペンを使いはじめる」形跡が果たして見られるのか。



中一弥:画、多田裕計『世界文学全集26 織田信長』(講談社昭和36年



中一弥:画、多田裕計『世界文学全集26 織田信長』(講談社昭和36年



中一弥:画、多田裕計『世界文学全集26 織田信長』(講談社昭和36年


紙質が悪く印刷が鮮明ではないので、掲載した画面から筆の絵なのか、ペンの絵なのかを判断するのは難しいが、ペン画ならではの線の太さが均一で強弱が見られなくなる、という欠点がなさそうに見える。


それとも中氏が、「筆なのか、ぺんなのかわからない」といったのは、このような絵なのか。丁寧に一本一本の線に強弱を付けていくという根気のいる仕事を完遂すればそれも可能だ。画面でも確認できるように部分拡大してみた。



中一弥:画、多田裕計『世界文学全集26 織田信長』(講談社昭和36年


どう見ても筆で描いているように見える。1本1本の線が均一の太さになっていないことや、髪の毛は筆に間違いないが、その他、具体的には、刀の刃の部分や鎬(しのぎ)と呼ばれる、いちばん太い部分の線などなど、ペンで描くような均一の縁佐野線ではなく、むしろ微妙に太くなったり細くなったりしている。親指を描いた線なども、筆で描いた痕跡が良くうかがえる線になっている。