2010-11-21から1日間の記事一覧

挿絵というものは本来非常にむずかしいものです。心内の幻想を描出するものですから、眼前のものを描くよりは一層むずかしいわけです。素描の力が充分にあって余程空想ゆたかな人でなければよい挿絵は描けません。而して文学を理解し人事百般の学問を通じていなければならない。こう考えて来ると挿絵という仕事は非常に恐ろしくなります。なまやさしいものではない。挿絵をやっていると自分の至らぬことが痛感され、勉強せずにはいられなくなるのです。」(『春陽会雑報』昭和6年4月第1号)

石井鶴三:画、「春陽会あかるくなる」(1931年『春陽会雑報』)

展覧会を見る人はおのずから限られているが、新聞は見る人の範囲がずっと広く、その人々の多数は僅に挿絵によって絵画を味わう機会を与えられていると云ってよいのですから、新聞の挿絵は考えようで責任の重い仕事だといえます。挿絵を馬鹿にするのは多くの民衆を馬鹿にすると同じです。だが、今日では新聞の挿絵が正当に理解されて来て大慶です。

新聞の挿絵を見て、人はこの原画が見たいと云います。小生の新聞挿絵は紙上にあらわれたものが原画です。何故というに一種の版画だからであります。肉筆は版下での作画の一過程に過ぎません。勿論重要な一過程ですがどこまでも過程です。それから製版印刷の…

「春陽会には挿絵を描く人が幾人もあるので、自然会場に挿絵室も設けられるわけです。展覧会というものは画家の画生活の如き意味もあるので、小生の如きこの一年殆ど挿絵に埋没してしまった者は、その仕事の中から出品するのが最自然です。強いて油絵の具をいじったりする要はありますまい。数年前までは一般に挿絵を卑しむ風がありました。油絵などで展覧会製作でもやらねば真面目な絵とされなかったのです。今はそんな馬鹿なことを云う人はなくなりました。

春陽会展覧会に挿絵が飾られたという話をもう少し詳しく知りたいと思い、「石井鶴三全集」を眺めていたら、春陽会に挿絵を出品することに関する鶴三のエッセーを見つけた。