この他菊半裁、三五判、などと称するものが、紙の折り方如何によってできる。三五判とは、菊全紙を四十折して、一枚から八十頁を取ったもの。本の性質、原稿の長短、値段如何により、あるいは時代の好みにより、どの判型にするかを選択する。」(小川菊松『出版興亡五十年』(誠文堂新光社、昭28年)



昭和初期に300点以上も刊行され一大全集ブームとなった円本全集の多くは四六判で刊行された。


 一冊一円という条件の中で本を作るとなると、制作コストのかかる菊判は、四六判に比べ、割高になる。従って、発行部数の多い出版物は当然、四六判を選択することになる。部数が少ない場合は単価が高くなるのは避けられず、価格に見合った大きな判型で贅沢な造本にする。「より安く、より沢山」の判型としては、菊判は不向きということになる。
 そんなことを知らずに『現代日本文学全集』で菊判を選択したとは考えづらい。承知の上での選択だとしたら、漱石への憧れ以外に何が考えられるだろうか? 大正14年1月、創刊号で75万部を売り切り、翌年1月号では150万部を印刷した雑誌「キング」の影響があったのか? 経営的にどん底にあった改造社としては、「キング」のヒットは、うらやましくて仕方がなかったはずである。


現代日本文学全集』の内容見本に「各冊共これを市價並にすれば、どうしても一冊に付き價十圓以上の内容が盛られてゐます。ところがそれが僅かに十分の一の價で得られるのです。而もそれは菊判六號活字三段組によって普通の冊子よりも内容を數倍したもので體裁の上にも最新最良の工夫を凝らし、善美を盡した……」とある。


「キング」(大正16年2月号)と「改造」(大正9年7月号)


 単行本や全集で三段組みというのは、意外に少ない。戦後の全集ブームの時に三段組の全集が数点見られたが、時代背景を反映した特例と言ってよいだろう。改造社発行の菊判の雑誌「改造」(大正9年7月号)を見ても三段組はなく、段抜き又は二段組である。雑誌「キング」(大正16年2月号)でも主要な記事はほとんどが二段組で、「一頁大学」などの埋め草記事や、健康・映画の情報ページなどが三段組で組まれているが、二段組と同じ大きさの九ポイント三段組なので読みづらさは感じない。



3段組で組まれた「キング」(大正16年2月号)巻末の記事


 しかし、「キング」と同じ活字を使っての三段組では、「普通の冊子よりも内容を數倍」詰め込むという『現代日本文学全集』発刊の目的に合わないので、やや小さい六号活字を選択した。版面の寸法もほぼ「キング」と同じだが、罫で囲んだ『現代日本文学全集』は、窮屈な感じがする。より安くより沢山の内容を盛り込んで、より美しい本を作るという条件を満足させる究極の選択が、菊判・並製本、本文六号活字三段組総ルビつき、だったのであろう。



本文六号活字三段組総ルビつき『現代日本文学全集』本文