紀田順一郎氏は『内容見本にみる出版昭和史』(本の雑誌社、1992年)で「…巻末に『坊ちゃん』の組見本を2ページほど付している。これは当初第一回配本予定が『夏目漱石集』であったことを物語っている。現実には翌昭和二年の第一回配本は『尾崎紅葉集』で漱石は第二次募集になってからようやく第一回に起用された。当時の文壇力学が作用したものとおもわれる」といっている。(*注:手元にある第一回配本『尾崎紅葉集』は大正15年12月3日発行である。)
つまり、山本は漱石集を第一回配本に持ってきたかったのだが、「文壇力学」でやむなく当時人気のあった
『尾崎紅葉集』(大正15年12月)
『樋口一葉集 北村透谷集』(昭和2年1月)
『谷崎潤一郎集』(昭和2年2月)
『島崎藤村集』(昭和2年3月)
『国木田独歩集』(昭和2年4月)
『菊池寛集』(昭和2年5月)
に先を譲ったということなのである。
企画段階では社主・山本実彦が推す『夏目漱石集』が第一回配本の第一候補だった可能性が高いと考えると『現代日本文学全集』の造本は、『吾輩ハ猫デアル』をモデルにしたものと考えても決して強引な結びつけではないのではないだろうか。