解決しました〜ぁあ。ネットで検索してみたら「永地 秀太」はなんとなんと「ながとち ひでた」だった。「きいてみなきゃ、わかんないね〜」(東京凡太ふうに)アルファベットの落款も「とち」の落款も「永地」のものだったことがわかった。「Y」の字の見えたのは「永」ではないかと思われ、一番上の解読不明の文字は「地」と読む事が出来るので、これにて一件落着!!

永地 秀太 (ながとち ひでた)1873-1942 山口下松市生。旧姓は有吉。徳山中学卒後に上京。本多錦吉郎や松岡寿に師事。1892-94年明治美術会付属教場に学ぶ。1902年太平洋画会の創立で中心的役割を果たす。以後同展に出品を続ける。1909年文展褒状、1913年文展で三等賞。1920-23年文部省在外研究員として渡欧。帰国後、東京高等工芸学校の教授となる。1924年フランスのサロンに貢献したとし、レジオン・ドヌール勲章を受ける。1924年から帝展では審査員を務めた。