矢野橋村と石井鶴三が、昭和10年8月23日から12年5月20日まで、朝日新聞に描きつないだ新聞小説『宮本武蔵』の挿絵


昨日、高円寺の古書・越前屋で吉川英治宮本武蔵』第1巻(講談社、2002年、定価:3200円)、装丁/熊谷博人、装画/村上豊を100円で購入した。610頁のこの本は電話帳ほど厚い。全4巻のうちの第1巻。




分厚くてお得感があるからといって購入したわけではないが、この全集には、新聞小説として発表された当時の矢野橋村が描いた挿絵が掲載されているからだ。


今まで『宮本武蔵』の挿絵は石井鶴三が描いたものと思っていたが、この本を手に取って、「これって鶴三の絵じゃないの?」という、私的にはトレビア「へ〜!」があって、驚かされたのが購入動機だ。


長い間、なぜそんな勘違いをしていたのかというと、『宮本武蔵 吉川英治』(『現代名作名画全集1─石井鶴三集』六興出版、昭和29年)を持っていた事で、そんな先入観を植え付けられてしまったのだと思う。さらに水戸県立美術館での石井鶴三展を観たのも、『宮本武蔵』の挿絵は鶴三なんだと思い込ませるようになったものと思える。



その後購入した中央公論社版、吉川英治宮本武蔵』全6巻(昭和44年)でも、二人の挿絵画家がかかわっていた事は知らずに眺めていた。ちなみに、これらの本の中身は当然ながら、み〜んなおんなじなんですよね。




一つの新聞小説の挿絵を何人もで描く事は、決してよくある事ではなく、むしろ稀なことだと思う。そんな先入観と、矢野橋村を引き継いだ石井鶴三が、武蔵というキャラクターを以前の武蔵と体形や雰囲気などをよく似たものにしようと気を使ったのが効を奏したのかも知れない。







上から、左列が矢野橋村が描いた宮本武蔵で、右列が石井鶴三が描いた武蔵だ。こんな風に並べて、よく観察すればその違いがわからないではないが、私がずっと気がつかなかったほどに、うまい具合に引き継がれているように見える。