どことなく似ている、加藤まさをと一木紝の落款は。

加藤まさを(1897-1977年)が「月の砂漠をはるばると〜♪」と歌われた「月の砂漠」を「少女倶楽部」に発表したのは大正12年8月のこと。その後佐々木すぐるによって作曲され広く知られうたわれるようになった。


立教大学英文科在学中より、19世紀の英国イラストレータに興味を持ち読医学で抒情画を描き、詩画集を出版した。依頼「令女界」「少女倶楽部」「少女画報」などの少女雑誌を中心に哀しげな少女像を描き、抒情詩、少女小説、抒情画を一体化した画家として人気を博す。




一木紝、秋田県秋田市出身。明治31年(1898)生〜昭和48年(1973)歿。本名国次郎。大正15年に上京。最初、山村耕花に学び、大正7年に長谷川昇に師事し洋画家に転向した。大正14年、春陽会三回展に初入選。男鹿半島八郎潟の南に位置するアキタパーク美術館(天王町)の5000坪もある日本庭園の中に、一木トンの絵画館がある。先日も「なぜこのようなサインなのか?分らない」として紹介したが、少しずつ解読に近づいて来たようだ。






上のサインは「の」逆さのようなサインだが、したのは「い」と読めないでもないので、名字の読み方は「ひとつぎ」ではなく「いちき」なのかな、っと気がつく。さらに、「TON」と英字で記されているのを見つけ、「いちき とん」であろうと推察する。






この二人のサインは、「小学生全集 ピーターパン」(文藝春秋社・興文社、昭和4年)に掲載されていたもので、表紙総画、巻頭口繪、前扉、見返しを加藤まさをが描き、本文中の挿繪は一木トンが描いている。


英字のサインの後に丸囲みの文字を配するなどの共通点があるのがとても気になる。どことなく似ているように思うんですがね。ちなみに加藤まさをは、静岡県藤枝市の生まれなので、同郷人ではないようだ。



二人が描く女性の顔も、どこか似ているような気がする。ややぽっちゃり系で、目が憂いを秘めて寂しげだ。左が加藤まさを「投影」(「少女の友」、実業之日本社昭和7年)。右は一木トン「ピーターパン」(「小学生全集34巻」、文藝春秋社、昭和4年)。