鴨下晁湖(1890−1967年)明治-昭和時代の日本画家、挿絵画家。

明治23(1890)年2月25日東京に生まれる。本名は鴨下中雄。東京美術学校(現東京芸大)に学び、中退して、松本楓湖(ふうこ)に大和絵系の歴史画を学ぶ。後に、楓湖の師弟が多く集まる巽画会に入会し評議員を務めた。
1907年の第1回文展に『山法師』を出品し、3等賞を受賞。以後,文展,帝展で活躍。
また新聞,雑誌の挿絵を手がけ、「川口松太郎から『文藝春秋』に挿絵を描かないかと誘われ」(「座談会・筆を担いで三十年」『オール読物』1953年2月号)大佛次郎「市井の鬼」(「文藝春秋」昭和3年1月)の挿絵を描いたのが最初の作品で、挿絵を描くようになったのは「小杉放庵先生、それから石井鶴三先生なんかの挿画を見て、挿画といふものはこれだけの表現もできるし、立派に藝術としてやっていける。これをなぜ描いちゃいけないんだらう。さう思ってからなんですね」(「座談会・筆を担いで三十年」)と思ったのが切っ掛けだった。
代表作に岡本綺堂「半七捕物帳」(「講談倶楽部」昭和11年)、柴田錬三郎眠狂四郎無頼控」(「週刊新潮」昭和31~33年)、吉川英治「続鳴門秘帖」(『文藝倶楽部』昭和3~4年)、村上元三次郎長三国志」(「オール読物」昭和27~29 年)などがある。講談社の絵本「舌切雀」や、書籍の装丁も手がけた。昭和33(1958)年、挿絵を描いた『天平の少年 奈良の大仏建立/乱世に生きる二人』(福田清人・文、講談社)が第5回産経児童出版文化賞受賞。
昭和23(1948)年、岩田専太郎宮尾しげを田河水泡、田中比佐良、小野佐世男、富田千秋、河原久仁於、 田代光、嶺田弘、清水三重三、細木原青起、寺本忠雄、須藤しげる、梁川剛一とともに、出版美術家連盟(後の日本出版美術家連盟)を結成。昭和38年に日本出版美術家連盟の第三代理事長に就任。昭和42年10月20日死去。77歳。