2011-08-28から1日間の記事一覧

三代目「木枯し紋次郎」の挿絵は堂昌一によって生み出された。『堂昌一挿絵画集1992』(ノーベル書房、平成9年)には「木枯し紋次郎」(小説現代・河北新報、1975)と記されており、この制作年が正しければ第二代目なのかも知れないが、手元の資料不足でなかなか当時の「小説現代」での確認が出来ない。

堂昌一:画、笹沢佐保「木枯し紋次郎」(小説現代・河北新報、1975) 堂昌一:画、笹沢佐保「木枯し紋次郎」(小説現代・河北新報、1975) 堂昌一:画、笹沢佐保「木枯し紋次郎」(小説現代・河北新報、1975) 堂昌一:画、笹沢佐保「木枯し紋次郎」(小説現代…

これは、初代「木枯し紋次郎」。岩田専太郎:画、笹沢佐保「木枯し紋次郎」(「小説現代」昭和47年2月~48年6月号)

縞の合羽に三度笠、弓懸け(手っ甲)、脚絆にわらじ履きの股旅姿という股旅姿だけではなく、身長、体重などの体型も「木枯し紋次郎」のイメージは専太郎によってほぼ完成されていた。 岩田専太郎:画、笹沢佐保「木枯し紋次郎」(「小説現代」昭和47年2月~48…

今年初めて西部会館古書市に足を運んだ。最初に手にした雑誌に小林秀美;画、笹沢佐保「木枯し紋次郎 念仏は五度まで」(「小説現代」昭和50年7月号)を見つけた。小林は、岩田専太郎が昭和49年2月に急逝したため、その後継者として岩田が昭和46年3月から「小説現代」に連載していた「木枯し紋次郎」の挿絵を昭和50年3月〜52年1月まで担当することになった。その時小林が担当した二代目「木枯し紋次郎」の挿絵がこれだ。

小林秀美;画、笹沢佐保「木枯し紋次郎 念仏は五度まで」(「小説現代」昭和50年7月号) 小林秀美;画、笹沢佐保「木枯し紋次郎 念仏は五度まで」(「小説現代」昭和50年7月号) 小林秀美;画、笹沢佐保「木枯し紋次郎 念仏は五度まで」(「小説現代」昭和50…