昭和20年代後半から30年代は挿絵画家が大いにもてはやされた時期で、雑誌のインタヴュー等にも頻繁に登場した。伊勢田邦貴も例外ではなく、略歴を作る上では大いに助かっている。



「読切読物倶楽部」昭和29年6月号
「近代生活から生まれる健康な挿絵……
現代もの、少年もの、はてはいくの・ひさしの別名で挿絵界に縦横無尽の活躍をされている伊勢田邦彦先生のお宅は東京渋谷代官山の近代洋風建築。この建物にいかにもふさわしいジャン・マレー型の美青年伊勢田先生は、遅まきながらこの頃ダンスに御執心、但しホールへは余りゆかず忙しい合間に、佳きベター・ハーフ真己婦人をお相手に、電蓄の伴奏で楽しいステップ……」



「読切小説集」昭和32年4月号
伊勢田邦彦 結婚して10年、一男一女の母である。仕事の性質上、昼とよるがさかさまな生活になるのも珍しくない。亭主と一緒に昼間寝ている訳にいかないからさぞ、大変だと思うのだが本人は三十分でも一時間でも小刻みに寝られるという特技?の持主で、案外平気でむしろ僕より健康な位。まことに有難いことだと思っている。(さしえ画家)」


昭和32(1957)年が結婚して10年目ということは、昭和22(1922)年に結婚したようだ。




「読切雑誌」昭和35年11月号
「『そうなんですなあ、勝負ごとには大体頭をつっこんでるんだが、最近競馬やマージャンを覚えて困ってるんですよ』気さくな伊勢田先生である。ことに碁は実力四段級の腕前。愛嬢洋子ちゃんと、ごらんのとおりの立派な碁盤に石を並べていろいろ研究されるのも、先生の楽しみのひとつ。大正10年生まれ。27歳ごろからさしえを始められたそうだから、もう10余年になる。」


大正10年、1921年生まれで27歳ごろからさしえを始めたということは昭和23(1948)年(27歳)頃からさしえを初め、昭和35(1960)年のこの記事が書かれたころは挿絵界にデビューして10余年ということになる。


伊勢田が昭和23年にデビューしたとしている作品は、一瀬幸三「目ッかちおおかみキクロップス」(「小学六年生」新年号、小学館)、付録「世界驚異双六」(「小学六年生」新年号、小学館)をさしているものと思われる。