『亜細亜詩脈』創刊号の表紙が送られてきた!

shinju-oonuki2006-02-24

 
古本を集めていて最も嬉しいのは、あまり見かけることのない、集書目的にかなった本の情報が入ってきたり、あるいは実物が手に入ったりすると、考古学上の大発見でもしたかのような嬉しさが前身を襲う。おいらの手は、ゴット・ハンド!なんてね。
 
福岡市の創言社・坂口さんから送られてきた郡山弘史装丁『亜細亜詩脈』はまさに、そんな身ぶるいするほどに嬉しい本だ。今日、またその『亜細亜詩脈』創刊号(亜細亜詩脈協会、大正15年10月12日)の表紙のコピーを送ってきてくれた。デザインの見事さに唖然とさせられるほどである。カラーで見ることが出来ないのが残念ではあるが、タイトルの見事な図案文字といい、前衛的な装画の斬新さといい、装丁美術史におけるこの時代の代表的な作品になるものと思われるほどのすごさである。

タイトル文字は、恩地が装丁した『亜細亜詩脈』第二巻第一号(通巻7号)と創刊号では全く違うものだったので、第二巻第一号の題字は恩地が描いたのかもしれない。もしも恩地が描いたとしたら、恩地の創作文字の中でもこんなに見事な文字はあまりない。
 
坂口さんのメモには、「創刊号の目次には表紙を装丁した郡山の名前はありませんが、2号目に表記されている。」と記されている。郡山弘史の名前の記載を確認するために送られてきた目次を見ると、郡山弘史は、創刊号の巻頭に「高橋新吉論」や「潮風詩章」を、第2号には「秋風詩章」を寄稿している。

郡山弘史の著書がないかとネット検索してみたが、ヒットしなかった。ネットでは、「【郡山弘史】『歪める月』1927/L・S・M・社(仙台)/127p/20cm 」というデーターを見つけることが出来ただけである。
 
「大正13(1924)年、石川善助らと「北日本詩人」を出す。翌大正14年には、同じく石川善助らと「L.S.M」を出した。」などの断片的なデーターしか見つからなかったが、著名な詩人であったのだろうと思われるが、装丁力も優れていたのは間違いない。