広川松五郎装丁、渡辺素舟『現代日本の工芸美術』(図案工芸社、昭和3年)

shinju-oonuki2006-02-03

 
広川松五郎が装丁した本がやっと30冊集まった。歌集とかは高価な本もあって、古書市で出会った本を全て購入しているわけではないので、まだまだ集まるものと思っている。「広川松五郎 高村豊周展」(新潟県立近代美術館、2000年)の図録には松五郎の装丁は「三十以上ににも及び……」とあり、24点の写真が掲載されている。私のコレクションもこれに近い数になってきた。
 
松五郎は宮沢賢治春と修羅』(関根書店、大正13年4月)や藤沢清造根津権現裏』(日本図書出版、大正11年)など、今では数十万円も出さなければ手に入らない本も手がけており、全てを揃えるのは困難だが、安く購入できる本から集めてみようと思っている。
 
「……そしてもう一つの流れが大正末から昭和5年までよく見ることが出来る。いわば装幀や包装紙等のデザイナーとしての仕事である。」(前掲書)とあるが、装丁に関してはその限りではない。
 
よく知られている本では室生犀星『抒情小曲集』(感情詩社、大正9年)や、私が最も気に入っている装丁の与謝野晶子『街頭に送る』(大日本雄弁会講談社昭和6年)など数的にも質の高さからみても、必ずしもこの期間に創作されているわけではなく、大正初期から第二次大戦の頃まで、長年にわたって装丁を手がけている。
 
また「无型の誕生から実存工芸美術会へ至る間にデザイナーとしての広川は見られなくなっていく。おそらく工芸家としての広川の立場が忙しくなったからと推察きる……」(前掲書)とあるが「无型」の誕生は昭和2年、実存工芸美術会は昭和10年に結成されるので、この間に工芸家として専念するようになり、装丁や包装紙などのデザインから手を引いた、というのであろうか。
 
装丁に関する限りでは、先程の『街頭に送る』や与謝野晶子『優勝者となれ』(天来書房、昭和9年)や「冬柏」第4巻第11号(冬柏発行所、昭和7年)等の与謝野晶子関連の書物の装丁を手がけ、自ら短歌を作る松五郎は装丁をしながら歌人としての松五郎も楽しんでいるようにも思える。
 
他にも倉田百三『生きんとて』(天来書房、昭和11年)、高橋英子『橘』(交蘭社、昭和12年)や「感情」の装丁を手がけた頃からのつきあいがある室生犀星の著書「山ざと集』(生活社、昭和21年)などあり、「デザイナーとしての広川がみられなくなっていく」といううなことはなかったのでははないだろうか。
 
昭和10年には三条市の紋章もデザインしている。