大貫伸樹の続装丁探索5

shinju-oonuki2005-06-16

アールヌーボーの日本への伝達経路については、黒田清輝夏目漱石説が一般的だが、西野嘉章『裝釘考』には、私にとっては新たな説となる長尾健吉説が表れた。
 明治30年代に爆発的に流行するアールヌーボー様式。この様式を普及させたのは、明治34年10月、上野公園内国勧業博覧会跡地第五号館で開かれた白馬会第6回展といわれている。この展覧会には、世紀末の石版刷ポスター48点が展示された。この展示作品は、「芝区愛宕町で額縁製造販売業『磯谷商店』を經營し、明治38年に白馬會の雑誌『LS』の編輯兼發行人となる長尾健吉が提供したもので、アンリ・ブウテ、ウジューヌ・グラッセ、テオフィル=アレクサンドル・スタンラン、アルフォンヌ・ミュシャ、らの作品がそのなかに含まれていた。」(西野嘉章『裝釘考』(青木書店、平成12年)とあり、
 長尾が、ブームの火付け枠だったようである。。
 アールヌーボーなどの西洋美術の影響を受け、内容にふさわしいより個性的な装飾を施した装丁揺らん期の書物としては、
  藤島武二装丁/与謝野晶子『みだれ髪』(東京新詩社、明治34年
  長原止水装丁/森林太郎『即興詩人』(春陽堂明治35年
  小杉未醒装丁/国木田独歩『運命』(左久良書房、明治39年
  橋口五葉装丁/夏目漱石『四篇』(明治38年
  橋口五葉装丁/夏目漱石『漾虚集』(大倉書店、明治39年
などがある。

書影は橋口五葉装丁、谷崎潤一郎『刺青』(籾山書店、明治44年

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