運命というものを考えてしまった。

 もちろん恩地の才能もあっただろうが、新しい美術の流れや、初めて体験する木版画のことなど、さまざまな新しい大きな事が次々に目前に表れてきて、ことごとく体験し身に付けていく。生活は苦しいといいながらも、恩地にとっては、ある意味で恵まれた時代だったのかも知れない。
 
 書影は恩地孝四郎の装丁第2作とされる竹久夢二『どんたく』(実業之日本社大正2年)表紙。夢二は殆ど自分の著書は自分で装丁しているが、これは他人に装丁を任せた数少ない例である。ちなみに恩地の装丁処女作は、西川光二郎『悪人研究』(明治44年、洛陽堂)であるが、私はまだ見たことがない。
 
 恩地は身を粉にして尊敬する夢二に尽くしているが、ただそれだけではないものを感じていたのではないだろうか。恩地が夢二を超えようとしていることに、夢二自身が一番最初に感じていたに違いない。そんな夢二の心の揺らぎは、恩地と出合い、「月映」など、恩地の作品に出合ってからの夢二の作品の変化を見れば理解できよう。