大貫伸樹の続装丁探索7

shinju-oonuki2005-06-22

ムンクは、それでも84歳まで長生きしたようで、一寸ほっとしました。ムンクの話はいずれすることにして、恩地孝四郎の話に戻ろう。
 
 今から26年も前に、今私が疑問に思っているのと同じことを考え、深く考察してくれている有難い本、瀬木慎一『現代美術のパイオニア』(美術公論社、昭和54年)に、もう一つ、気になる文章があった。
 
 「恩地はシュトルム展を見る以前にも、すでに、ある程度カンディンスキーを知っていたのだろうか。そこで、当時の文献を漁ってみると、大正2年5月以降、ミュンヘンで沢木四方吉が、カンディンスキーの作品を見、その人にも会い、〈カンディンスキー是非〉他2篇の関連文書を書いて、つづけて、『三田文学』に発表しており……」と記しており、「三田文学」と前記「美術新報」227号の木下杢太郎の「洋画に於ける非自然主義的傾向」とは、全く同じ年月(*大正2年8月)に発表されている。
 
 これらの論文を、恩地が読んでいたことは、十分に考えられる。

「美術新報」227号には

など5点のはがき大のモノクローム(白黒)写真が掲載されている。これらの絵画と抽象芸術論を読むことが出来れば、色彩に関してはわからないにしても抽象絵画を描くことは出来るであろう。色彩に関する情報がなかったとしたら、本物を見たいという気持ちは、強かったに違いない。それ故、シュトルム展で実物に目に触れた時の恩地の感激ぶりは想像に難くない。