大貫伸樹の続装丁探索(恩地孝四郎)7

shinju-oonuki2005-06-27

 『恭吉は叙情的象徴画、藤森は人生的象徴画、恩地は表現画風であった。その純抽象画、非対象画は、日本人の抽象画の印行の最初であるといわれている。」(恩地孝四郎『日本の現代版画』(創元社、1953年)と、恩地自身が言っているように、日本で最初に抽象木版画を試みたのは「月映」の3人であった。 
 木版画の素人である恩地孝四郎、田中恭吉、藤森静雄の3人が、

  • なぜ、抽象版画をやろうとしたのか?
  • なぜ木版画だったのだろうか?

と言うことについて考えて見たい。この疑問に答えるのは難しい。単に資料を漁れば答えが出てくるとも限らないからだ。3人が望む最良の表現手段だったのだろうが、一体何をもって最良としたのだろうか。簡単に表現出来るというだけなら挿絵のように筆やペンを使って描くことも出来たのだはないだろうか。挿絵にはない魅力が版画にはあったのだろう。