大貫伸樹の続装丁探索6

shinju-oonuki2005-06-20

 雪未知さん、コメントをありがとう。田中恭吉のHPを制作進行中とか。拝見できるのを楽しみにしております。私も恩地の話と並行して、恭吉にも興味をもって、最近少しずつ本を読んだり、絵画の資料を集めたりしながら調べ始めました。
 
 まず手始めに、恩地にも、恭吉にも強い影響を残したムンクについて読み始めました。美術出版社から発行された函入の薄い本、鈴木正明『ムンク−世紀末までの青春史ドキュメント』( 美術出版社、1980年)です。ムンクは、北国特有の風土病ともいわれる結核を患っており、この結核を病んでいるという恭吉との共通点が、単なる絵画を通しての影響というものを超えた、死を感じているものが発進した叫びに、身震いするような共鳴を感じたのではないかと思われます。
 
 それは恩地が受けた影響とはまた違った共感であり、同じ体験や境遇の似ているものだけが感じる響きあいのようなものを感じて、それまで、恭吉の中にあったものが籍を切ったように作品となって吹き出したのではないかと推察します。ギターのチューニングをしている時に、もう一本の玄が自然に震え出すように。
 
 ムンクの作品とタッチとしては似たものがありますが、それは、きっかけを与えられたのであって、恭吉独自の感情の発露がムンクのタッチを借りて、吹き出したのではないでしょうか。そして、そんな、共鳴が、萩原朔太郎とも響きあい、『月に吠える』が誕生したのではないかというのが、わたしが、勝手に作り上げたストーリーです。
 
 先週、近所のブックオフから『現代美術全集 ムンクカンディンスキー』(集英社、1973年)を500円で購入して、モノクロームの版画を眺めていますが、身震いするような共鳴は、なかなかやって来てくれません。やはり凡人とは、はなから違うようです。
 
 たまたまかどうかわかりませんが。この画集には、カンディンスキーが掲載されていますが、恩地はもう一方のこのカンディンスキーに魅かれていくんですね。多分、恩地も恭吉も1914(大正3)年のシュトル厶木版画展を一緒に見に行って、違う作品に魅了されて感激して帰ってきたのではないかな? なんてまるで二人の行動を見ていたかのような空想をしています。