なお、「紙魚の手帳」33号は7月10日発売です。

 神田神保町すずらん通りの東京堂書肆アクセスにて発売されます。

  有島生馬が「美術新報」で恩地に献辞をささげたのが、たしか大正4年4月だったとおもうが、この頃の有島生馬は、大正3年文展を批判して二科会を創設する中心的メンバーであった。いわば日本の絵画界のトップクラスの人物が、一学生に献辞を捧げていることがすごい。捧げたほうも捧げられたほうもすごい。有島の目も、それに応えていく恩地もともにすごい。
 二科会の創設メンバーは、石井柏亭、津田清楓、梅原龍三郎、山下新太郎、小杉未醒、有島生馬、齋藤豊作、坂本繁二郎、湯浅一郎の9名である。余談だが、このとき若干23歳の岸田劉生は誘いを断って、「草土社」を創設し、独自の道を切り開く選択をした。
 
 そんな大した学生だった恩地孝四郎が、田中恭吉、藤森静雄たちと3人で版画誌「月映」(つくはえ)の創刊を思い立つのが大正3年3月であり、その頃に恩地が