2012-04-27から1日間の記事一覧

野田 九浦(1879-1971年)は1907年、大阪朝日新聞社に入社し夏目漱石の「坑夫」(画像右上)の新聞連載小説挿絵を描いたことで知られている。挿絵画家の名前は記されていないがサイン(右下)から野田の挿絵であることが分かる。「坑夫」は、漱石が切抜きを貼って喜ぶほどの出来栄えだったが、社内の「あまりに高級だ」という非難に屈して連載半ばで挿絵を中断させられ、春仙が描く題字飾りのみに切り替えられるという仕打ちにあっている。いい絵と受ける絵とは必ずしも一致するとは限らないものですね。画像左は『明治大帝』に掲載さ

大平洋画会を創立、帝国美術院会員の満谷 国四郎(1874-1936年)の『明治大帝』に寄稿された挿絵。「M」の「V」の部分に「K」を横向きにした「V」の部分を重ね漢字の「丹」のようにするのが国四郎のサインだが、ここでは更に国構えの略字「口」で囲んでいる。洋画家のサインには工夫を凝らし類似を避けたものが多く、サインを眺め解読しているだけで楽しい。

このサイン何と読むと思いますか? 「さぶろ画」? いや、ブーッ、「現代」(昭和3年)に掲載された柳亭孤舟「川柳漫画」の一コマだが「古(草書体)ぶね画」と読むのだろう。甘味喫茶などでは「しるこ」と書く時に「こ」だけが漢字になっているあれですよ、きっと。それにしてもどうして「孤」を「古(草書体)」と書くのかな?

つい先日、内藤賛の「SUN」というサインを紹介したばかりなのに、昨日、古書市で三田康:画『風船虫』(昭和29年)に同じサインを見つけてしまった。同じサインで何がわるいのか、って? 「ミタ」ではなく「サンタ」になってしまうじゃないですか。

横山隆一や小穴隆一など「R」一字だけのサインを紹介してきたが、またも古書市で北川禮太:画『兄さん』(昭和5年)に「R」のサインを見つけてしまった。このサインが欲しいので、…いや、イラストもモダンで色彩も綺麗なのでつい購入してしまった。