何とか復刻したいと思っていたが、とりあえずブログにでも掲載して、知ってもらおうと更新し続けた『出版美術家連盟1955年鑑』掲載作品紹介もこれで最後だ。連盟員の名簿も今日の掲載で、全230名を更新した事になる。この頃に挿絵画家が230名も組織されているのは、驚異的な数字と思えるが、挿絵の第二黄金時代と言われるのがうなずけるデータだ。



山川惣治:画「傷つける友」(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年)
(1908 年2月28日-1992年12月17日)昭和20年代(1945年から1954年)〜昭和30年代(1955年から1964年)に活躍した絵物語作家。
福島県郡山市生まれ。戦前より紙芝居作家として、戦後は絵物語作家として多くの作品を発表。戦前に紙芝居として描いていた『少年王者』を1947年に絵物語として単行本で描き下ろしたところ大ヒット。小学館の娯楽部門だった集英社は『少年王者』によって経営の礎を築き、集英社は『少年王者』を看板作品として『おもしろブック』を創刊。山川惣治小松崎茂や福島鉄次らと共に、戦後1950年代前半の月刊少年雑誌絵物語ブームを牽引する絵物語作家の代表格として活躍。1951 年より産業経済新聞産経新聞)にて連載された『少年ケニヤ』は大きなブームを呼び、後に漫画・ラジオ・テレビ・アニメ・映画化される。


1954 年には長者番付で画家部門の1位になる。が、絵物語は1950年代後半になると漫画の人気にとって代わられ人気が退潮。山川は絵物語復権の夢をかけ、1967年にタイガー書房を設立。8月から絵物語雑誌『ワイルド』を創刊するが1968年に廃刊、タイガー書房も倒産。
この後、山川惣治は第一線を退き、横浜市でレストラン「ドルフィン」を経営して過ごす。ちなみに、このドルフィンは、荒井由美(現:松任谷由実)の初期の名曲『海を見ていた午後』で、”山手のドルフィンは、静かなレストラン。晴れた午後には、遠く三浦岬も見える”と歌われたことでも有名。



矢車涼:画「ゆりかご」(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年)



島健三:画「風の紋太郎」(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年)
下記はネットで探した作品
・『少年講談全集 塙団右衛門』(講談社、昭和30年)
・『少年講談全集 荒木又右衛門』(講談社、昭和30年)
・土師清二『黒門町伝七捕物帳 第6話生埋めにされた女』(「京都新聞」昭和26年〜)
・佐々木杜太郎『黒門町伝七捕物帳 第14話 裸ご免の女』(「京都新聞」昭和26年〜)
・佐々木杜太郎『黒門町伝七捕物帳 第35話 お染茶わん』(「京都新聞」昭和26年3月11日から)
・佐々木杜太郎『黒門町伝七捕物帳 第40話 孔雀娘』(「京都新聞」昭和26年〜)




柳瀬茂:画(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年)
江戸川乱歩全集 少年探偵」「名探偵ホームズ」「怪盗ルパン」などのカバー絵で、昭和40年代ころ活躍。



横塚繁:画(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年)
下記はネットで探した作品
陳舜臣『桃花流水』 新聞小説1-488完   
・山田哲彦『蒙古襲来』新聞切抜全714回
・宮俊彦「遠い国から殺意をこめて」(「ヤングエース」学研、1968年)




渡辺郁子:画(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年)
下記はネットで探した作品
・勝承夫「金絲雀」(「少女ロマンス」 明々社、昭24年7月〜昭26年)
・北條誠「哀しき虹」第三、四、九、十、十一、十二話(「少女ロマンス」 明々社、昭24年7月〜昭26年)
・大庭さち子「小説:思い出は歌の翼に」(「少女ロマンス」 明々社、昭24年7月〜昭26年)
・佐々木千之「読物:天使の花園」(「少女ロマンス」 明々社、昭24年7月〜昭26年)
・大江賢次「かもめと話す少女」(「少女の友」42巻2号、実業之日本社、昭和24年)
・城夏子「花のゆれる窓」(「少女の友」42巻12号、実業之日本社、昭和24年)



渡辺幸雄:画「赤西蛎太」(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年)



和田平三郎:画「嵯峨野」(『出版美術家連盟1955年鑑』昭和30年)