岩田専太郎が「講談雑誌」第7巻第1号に描く第4作目は、三遊亭小円朝「怪談牡丹灯籠」のさし絵。


岩田専太郎:画、三遊亭小円朝「怪談牡丹灯籠」(「講談雑誌」第7巻第1号、大正10年)



岩田専太郎:画、三遊亭小円朝「怪談牡丹灯籠」(「講談雑誌」第7巻第1号、大正10年)



岩田専太郎:画、三遊亭小円朝「怪談牡丹灯籠」(「講談雑誌」第7巻第1号、大正10年)



岩田専太郎:画、三遊亭小円朝「怪談牡丹灯籠」(「講談雑誌」第7巻第1号、大正10年)
この絵を見ると、タッチが筆のタッチではなく、木版画のタッチであることがよく分かる。専太郎は、「雑誌の中のさし絵は、私の描いた絵とはいっても、まるで違ったものに見えた。木版の彫師の刀のためか、印刷されたものは、画家としての私の意に満たないものだった。はじめてさし絵の仕事をした私には、その違いかたが不愉快だった。」


「生田さんは、今後もつづけて仕事をくれるといったが、そのさし絵も、描くたびにこんなに変わってしまうのだろうか。……自分の描いた絵が、こんなに変わったものになって、多くの人の目にふれるのだとしたら、やりきれない気もする。」(『わが半生の記』)と、自分の描いた絵と違うものになってしまう当時の複製技術に不満を洩らしている。


岩田専太郎:画、三遊亭小円朝「怪談牡丹灯籠」(「講談雑誌」第7巻第1号、大正10年)