2010-07-19から1日間の記事一覧

昨日は千駄木にある金土日館(岩田専太郎美術館)に行った。冨田常雄「江戸無情」(読売新聞夕刊、昭和37年)の原画18点と、冨田常雄「鳴門太平記」(週刊サンケイ、昭和37年)2点、冨田常雄「書生草紙」(産経新聞、昭和35年)4点、「春色江戸巷談」(報知新聞、昭和40年)など総展示点数26点と、やや物足りない感じがした。それでも、印刷物と違って原画は大きいこともあり、グレーの微妙なトーンや筆のかすれなどを目の当たりにして、迫力満点だった。ビアズレーを思わせる構図の大胆さや人物の微妙なデフォルメなども専太郎さし絵

岩田専太郎:画、冨田常雄『江戸無情』(新潮社、昭和38年) 岩田専太郎:画、冨田常雄『江戸無情』(新潮社、昭和38年) 岩田専太郎:画、冨田常雄『江戸無情』(新潮社、昭和38年) 岩田専太郎:画、冨田常雄『春色江戸巷談』(講談社、昭和41年) 岩田専…

7月19日(月)みごとな夕焼け、左の方に富士山があるのだが今日は見えなかった。

日暮里辺りを走る電車の中からスカイツリーを撮影した。中央白い空に濃い青のボール状に浮かんでいるようなのが、スカイツリーだ。

図書設計79号刊行。巻頭特集7ページを執筆。

「図書設計」79号が予定よりも3ヶ月ほど遅れてやっと刊行の運びとなった。私は巻頭特集「夢二、白秋らが育んだ恩地孝四郎の出藍の装本」7ページを執筆させてもらった。 「図書設計」79号、表紙挿画:武井武夫の刊本作品No.4「善悪読本」昭和13年 「図書設計…

やはりこれが、岩田専太郎のデビュー作か。「図書設計」巻頭特集執筆

■以前にも書いたが、岩田専太郎は1919 年(大正8年)12月、父親の友人・吉田六に勧められ「講談雑誌」を発行していた博文館・生田調介宅を夜中にいきなり訪ね、さし絵画家としての採用を願い出て、挿絵画家として採用される。1920年(大正9年)19歳の時に「…