挿絵画家の略歴を探すのは難しい。作品と名前は分かってもどんな人物なのかはなかなか調べる事が出来ない。55年前の年鑑の名簿を元に、単に生没年を調べるだけでも手のうちようがない場合が多い。年鑑などにも略歴は残っていないし、著書でもない限り調べるのは難しい。いい絵を残していながら、挿絵史の中に残せないのは残念でもある。本日掲載した中では、名取春仙、野口昂明、馬場のぼるは調べる事が出来るものと思う。挿絵画家たちが自らの足跡を後世に残そうと努力をしない限り、ただひたすら忙しく仕事をこなしても、何も残らない。



中島喜美:画「ローレライ」(『出版美術家連盟1955年鑑』、昭和30年)
下記のように古書データなどを探せば、作品はそこそこ集まるが、やはり略歴は分からない。
・「裏窓6月号 女隠密・女スパイ特集/島本春雄 中島喜美/S32年」
・「画:中島喜美「被虐の鹿鳴館」(「サスペンスマガジン49年6月号(18頁)」
・「中島喜美:画、赤川武助「日かげ月かげ」(「小学五年」二葉書店、昭22年1月〜昭25年10月)
・「中島 喜美:挿絵、山手樹一郎黒門町伝七捕物帳第9話「櫛」』(京都新聞、昭和26年3月〜)



中野淳:画(『出版美術家連盟1955年鑑』、昭和30年)



名取春仙:画(『出版美術家連盟1955年鑑』、昭和30年)
1886−1960明治-昭和時代の挿絵画家、本名は芳之助、号は春仙、春川。明治19年2月7日生まれ。日本画家久保田米遷(1852−1906)その息子金遷に師事した。東京美術学校日本画専科に学び院展に出品するも、中退。明治40年東京朝日新聞社に入社、夏目漱石虞美人草」「三四郎」などの挿絵をえがく。ほかに森田草平「煤煙」、長塚節「土」や藤村、鏡花、花袋など明治の文豪の挿絵を描いた。大正5年(1916)渡辺木版画舗から「鴈治郎の紙屋治兵衛」、6年「梅幸のお富」を出し、のち「創作版画春仙似顔集」にまとめられた。大正15年(1926)に創刊した『大衆文芸』には常連の挿絵画家として名をつらねたが、晩年画壇から忘れられ自殺して世を去った。
 



西原比呂志:画「梵天由来記」(『出版美術家連盟1955年鑑』、昭和30年)



野口昂明:画「狂女と盲剣士」(『出版美術家連盟1955年鑑』、昭和30年)
1909−1982昭和時代の挿絵画家。明治42年8月17日愛知県生まれ。愛知工業卒。本名は久夫。小田富弥、伊東深水に師事。中山義秀と組み戦国末期を舞台にした作品がある。昭和57年11月15 日死去。代表作品は中里介山大菩薩峠絵本」、中山義秀「武辺往来」、平岩弓枝「へんこつ」など。



野崎青郊:画(『出版美術家連盟1955年鑑』、昭和30年)



花房英樹:画(『出版美術家連盟1955年鑑』、昭和30年)



原やすお:画(『出版美術家連盟1955年鑑』、昭和30年)



馬場のぼる:画(『出版美術家連盟1955年鑑』、昭和30年)
馬場 のぼる、本名:馬場 登。1927年10月18日 青森県三戸郡三戸町大字川守田字元木平に3人姉弟の末っ子として生まれる。1950 年 野球漫画『ポストくん』で漫画家としてデビュー。1955 年 『ブウタン』で第1回小学館漫画賞受賞。1970年 『日本経済新聞』に『バクさん』を14年間連載。1985 年 『11ぴきのねこラソン大会』でボローニャ国際児童図書展エルバ大賞を受賞。1993 年 第22回日本漫画家協会賞文部大臣賞受賞。2001年4 月7日 胃癌により東京都練馬区の自宅で死去。73歳没。
手塚治虫や福井英一とともに「児童漫画界の三羽ガラス」と呼ばれた。代表作は絵本「11ぴきのねこ」シリーズなど。



浜康雄:画「あさ」(『出版美術家連盟1955年鑑』、昭和30年)