想定外の評価?

そういう孝四郎が雑誌・公刊「月映」第V号(洛陽堂、1915〈大正5〉年3月)に発表した、日本近代美術史上最初の抽象作品と言われている「あかるいとき」にしても、「美術新報」第12巻第10号(東西美術社、大正2年8月)に掲載されたブールリツク(ブルリューク)筆によく似ているということを忘れているのだろうか。

孝四郎にとっては、この初期の作品が後世に語り継がれる評価を得ることになることなど、予想だに出来なかったのではないだろうか。評価が高まれば高まるほど、孝四郎の不安は高まったに違いない。新しい美術運動を受容するための気軽につくったエスキースだったのではないだろうか。抽象絵画との出会いの時期をあいまいにしているのは、そんな不安の現れのようにも思える。



恩地孝四郎:「あかるいとき」(公刊「月映」第V号、洛陽堂、1915〈大正5〉年3月)



ブールリツク(ブルリューク)筆(「美術新報」第12巻第10号、東西美術社、大正2年8月)