2010-05-22から1日間の記事一覧

大正4年11月に刊行された告別号を最後に公刊「月映」が廃刊され、発表の場を失っていた恩地孝四郎だが、「感情」への参加により新たな表現の場を得ることができた。「感情」2号に犀星が発表した「抒情小曲集」の冒頭に木版画1点を寄稿したのをきっかけに、第4号からは表紙のデザインにもかかわり、版画の発表もたびたび行っている。

表紙のデザインについて1号から3号まで表紙意匠を担当した朔太郎は「この雑誌の装幀は、表紙の意匠から釘装まで、僕がすっかり自分で考へ、ただ表紙に入れる絵だけを恩地孝四郎君に描いてもらった。」(「詩壇に出た頃」)と自分が装幀を担当していたことを…