竹久夢二『春の巻』誕生の裏話

宇野浩二は『文学の青春期』に『春の巻』に関して多くの行を割いている。「夢二が自作の絵の版木をたくさんもってゐる、それをもちこんで来たのに心をひかれ、また、その絵がすきになり、あまりうれなくても、たいした損はしないといふほどのつもりで出したのが、まつたく予想外にうれたのがもとで、それに気をよくして、『春の巻』『夏の巻』と順に出版したのがますますうれて、ますます名声があがった。といふやうな事もあつたのであらう。


 しかし、河本が、かりに夢二の画集が売れすぎて、(『春の巻』以後二三年のあひだに、夢二の本が、洛陽堂から、十数冊も出てゐるのを見ても、)経済的にゆたかになつて、『白樺』を発行し、白樺叢書(有島生馬の『蝙蝠の如く』、志賀直哉の『留女(るめ)』、武者小路実篤の『世間知らず』、その他)を出したとすれば、夢二の本が予想外に売れたのは、大正文学にとつて、まことにめでたい事である。」と、『春の巻』の売れ行きに対するに多少の皮肉と、うらやましさを含んだ文章で、内容に関してではなく売れ行きに対しての意義を評価している。