2010-05-07から1日間の記事一覧

宇野浩二は、夢二本のヒットがよほど気に入らなかったのか『春の巻」についての竹越三叉の書簡にもクレームをつけている。

「“……若し夫れ兄の画才に至りては天稟(*てんひん=生まれつき備わっている才能)他人の企及するところにはあらず、無声の詩の文字今更深き意義あるを覚え申し候……”と書いてうゐるのもまんざらの世辞ではない。ただ、この言葉のなかの“画才に至りては天稟”と…

竹久夢二『春の巻』誕生の裏話

宇野浩二は『文学の青春期』に『春の巻』に関して多くの行を割いている。「夢二が自作の絵の版木をたくさんもってゐる、それをもちこんで来たのに心をひかれ、また、その絵がすきになり、あまりうれなくても、たいした損はしないといふほどのつもりで出した…

洛陽堂・河本亀之助について『画文共鳴』(岩波書店、2008年)の著者・木股知史さんから新たな情報を教えていただきましたので、ご紹介します。

出典について「河本亀之助の事項については『河本亀之助追悼録』(1921年1月、河本テル発行)所収の、関寛之“河本亀之助氏の生涯”、高島平三郎“追想録”を参照した。」(木俣知史「スケッチという概念をめぐって─画文をつなぐもの」甲南大学紀要、2009-03-25…

洛陽堂・河本亀之助について調べようとしたが、資料が少ないようで、なかなか全容がわからない。そんな中、小田光雄「洛陽堂河本亀之助」(「日本古書通信」第967号、日本古書通信社、2010年2月号)を見つけた。小田氏も「著名な出版社であるにもかかわらず……出版史にもほとんど姿を見せていない。」として、「文学者の回想にたよることとなる」と前置きをしながら宇野浩二『文学の青春期』(乾元社、 昭28年)の「洛陽堂と東雲堂」を紹介している。私も早速購入して読んでみた。

小田氏の要約の方が簡潔にまとめられているので、そちらを紹介すると「河本亀之助は明治末期に築地印刷所の重役であった。ところが金尾文淵堂の金尾種次郎を信用しすぎ、大きな損害をこうむったために、印刷所を辞め、出版社の洛陽堂を始めることになった。…