宇野浩二は、夢二本のヒットがよほど気に入らなかったのか『春の巻」についての竹越三叉の書簡にもクレームをつけている。

「“……若し夫れ兄の画才に至りては天稟(*てんひん=生まれつき備わっている才能)他人の企及するところにはあらず、無声の詩の文字今更深き意義あるを覚え申し候……”と書いてうゐるのもまんざらの世辞ではない。ただ、この言葉のなかの“画才に至りては天稟”といふのは、世辞でなければ、あたつてゐない。なぜなら、夢二自身が詩を絵にしたといふやうに、彼が荒れ果てた門の側に枯れ木を画いた絵に、『母はありき、髪うつくしき姉ありき、されど、さだめはわれにつらかりき』と書いてゐるやうに、彼は、甘い抒情詩人であるとともに、当時ある一部の青年男女に魅した頽廃的なところがあつて、それを、おくめんなく、絵であらはしたもので、天稟の画才はなかつたけれど、独得の、べつな、絵の、才能をもってゐただけであるから。」と、かなり手厳しい言葉を浴びせている。