2010-04-23から1日間の記事一覧

孝四郎は夢二主宰「都会のスケッチ」(洛陽堂、明治44年6月)にも絵を寄稿する。

竹久夢二:画「都会のスケッチ」(洛陽堂、明治44年6月) 「都会のスケッチ」(洛陽堂、明治44年6月)扉(左)、表紙(右)。表紙には5名の落款(サイン)が掲載されており、扉にはそれら夢二学校にたむろする青年たち5人の名前が記されている。左から二番目…

憧れの竹久夢二から恩地孝四郎宛てに「お手紙うれしく拝見しました。諸方からうける批判のうちにて最も胸にしみてうれしかつた。君と逢つて話がしたい。遊びに来てくれませぬか。第二集についてもいろいろと考へてはいれど恐ろしいものを生むようにおもへて全く手が出ない所です。長い手紙をよむだ。それに対して沢山の言いたいことがあるけれどまづまづハガキにて。」(明治42年12月21日消印)という、まるで恋文のような返信がきた。この手紙が機縁となり、孝四郎は麹町の自宅近くに住む夢二の家に足繁く通い詰めるようになる。

このころの様子を恩地は「幼少から画ばかりかいてゐた僕だったが決して画かきになるつもりのなかった僕が忽ち、次年春、美術学校を受ける熱意にまで到達したといふのは即ち夢二氏のあるあったからである。但し一度も夢二氏がそれをすすめたのではない。夢二…