新聞や雑誌に洋画風挿絵が掲載されるようになったことについて正岡子規は「松蘿玉液」に、
「小説雑誌新聞の挿絵として西洋画を取るに至りしは喜ぶべき異なり。其の喜ぶべき所以(ゆえん)多かれど、第一、目先の変わりて珍しきこと、第二、世人が稍々西洋画の長所を見とめ得たること、第三、学問見識無く高雅なる趣味を解せざる浮世絵師の徒が圧せられて、比較的に学問見識あり高雅なる趣味を解したる洋画師が伸びんとすること、第四、従来の画師が殆ど皆ある模型外の事が之を画く能はざりしにはんし如何なる事物にても能く写し得らるべき画風の流行すること、第五、日本画が好敵手を得たること等を其主なるものとす。」(「日本新聞」明治29年10月22日)と評価している。