2010-03-23から1日間の記事一覧

実践女子学園生涯学習センター(JR中央線・日野駅前)で「美しい本の話- 装丁の魅力 -」講座を4月7日、14日、21日、3回(毎週水曜日15:00〜16:30)開設します。講座内容やご予約など、詳しくは下記のホームページをご覧下さい。

http://www.syogai.jissen.ac.jp/

下記の公開講座の受講者数の途中報告がありました。開講のため最低必要受講者数10名をクリアすることができ、開講が決定いたしました。皆様の応援に御礼申し上げます。

このような洋画への社会的関心が高まりを見せる中で、与謝野鉄幹が、落合直文の和歌結社浅香社(明治22年結成)の一分社として東京新詩社を結成し、雑誌「明星」を明治33年4月創刊した。創刊号はタブロイド判16頁の新聞形式。「明星」は詩歌誌とは異なり美術評論、小説、随筆、美文等にも多くのページをさき、「詩歌といわず、広く文芸美術の全面にわたり、学芸交響の一大殿堂」の趣きを持つ文芸総合誌というような性格を持たせて誕生した。

「明星」第1号(明治33年)と第3号 第3~5号の表紙に記載された、頭に明星をいただいたキューピッドが炬火を持って飛んでいる絵は、長原光太郎によって描かれたものだが、表紙装画は終刊号まで一条成美、藤島武二、和田英作と洋画家の手によって受け継がれた…

文芸と美術の共同作業が好評を得るにつれ、明治30年には島崎藤村『若菜集』『一葉舟』『落梅集』が中村不折の挿絵を挿入した画文集として刊行される。

明治29年は、黒田清輝が洋画界への地歩を確立し、東京美術学校西洋画科が開設され指導者として迎えられ、明治美術会から離れて白馬会を結成し主宰した年である。また、フランスから帰朝した久米桂一郎や長田秋濤などが、フランス文学と美術の移植をめざした文芸雑誌「白百合」を、久米の案で青地にフランス国家の紋章である白百合を描いた高雅な表紙を着せて創刊。同年、洋画家・浅井忠の石版画「樹陰双美の図」を口絵として中村不折や川村清雄のさしを挿入した「新小説」が創刊し、洋画家による挿絵が雑誌に掲載されるようになった。

新聞や雑誌に洋画風挿絵が掲載されるようになったことについて正岡子規は「松蘿玉液」に、 「小説雑誌新聞の挿絵として西洋画を取るに至りしは喜ぶべき異なり。其の喜ぶべき所以(ゆえん)多かれど、第一、目先の変わりて珍しきこと、第二、世人が稍々西洋画…