マリオ・アマヤ 

アール・ヌーヴォーは様式としても運動としても、デザインの歴史の上で最も想像力に富んだ革新の一つである。その全盛期から半世紀経ってもなお、その創意のファンタジーは、二十世紀なかばの機能主義への予言、また完全に秩序ある新しい社会に、あらゆる生活の要素を統一しようとするその感動的な念願とともに、われわれを魅了しつづけている。


変化と混乱のはじまる1880年代の初めに到来し、第一次大戦によって終結するの至ったアール・ヌーヴォーは、現実を超えて象徴的神秘主義の世界を期待した夢想家たち、中世の工芸を追い求めたロマン主義者たち、美を広げる手段として機械を見た実際的なモダニストたちも包んだのであった。


事実、アール、ヌーヴォーのもっとも興味深い局面の一つは、それが二つの相反する態度を融和させようと試みていることである。すなわち一つは機械技術の登場に応じて芸術を生活の侍女と考えた態度、他は生活を美的な芸術によって魅力あるものにできると考えた態度である。別の言い方をすれば、一方ではアール・ヌーヴォーは“生活の希望”を用意したのだと考え、他方ではそれは確かに“退廃の効果”なのだと見ていた。


ウォルター・クレインが“あの奇妙な装飾の病”と呼んだアール・ヌーヴォーは結局その創始者たちをさえ混乱させた。彼らはそれをもはや芸術に対する新しい革命的な接近と見ずにむしろだれでも自由になし得る様式と見なした。そこでは同じような曲線あるいはむちひものモティーフは生産者らによって虚飾の多いトレード・マークにかえらたれもした。


アール・ヌーヴォーとは正確には何であったか。この言葉はしばしば世紀が変わるころに作られた装飾的対象に用いられた。花の抽象からできた流れるような形や有機体的な形、飛ぶようなまたうねるようなリズムのデザインをもって図案化された線や渦巻きなど。その休みなく動き揺れる線は神経過敏な表現的性格を示し、そして対象の形体を定めるか、あるいは予想もつかない方法で形体を補っている。とりわけアール・ヌーヴォーはその線に装飾的な価値を与えているのである。


しかし、アール・ヌーヴォーの主要な別の多くのデザインは筋っぽい、また蛇のようなモティーフをあまり使わず、この運動の別の部門として、有機体的形体寄りもむしろ構築的な形体を求めて、論理的幾何学的構成の方向に延びていった。」(マリオ・アマヤ『アール・ヌーヴォー世紀末の美と様式』パルコ出版局、1976年5月)



ウォルター・クレイン「花の祝祭 子供のための詩集さしえ」1888-89年