第二「明星」第4号(明治35年4月)57ページの与謝野晶子「恋ごろも」題字脇に挿入された「MIYOJO」と文字が書き込まれた画家名不明の挿絵は、他の絵に比べて俄然西洋風で際立って目立っている。さらに、ミュシャの絵にも似ているようなので早速調べてみた。



第二「明星」第4号(明治35年4月)挿絵画家名不明、一條成美が描いたとも言われている。頭に掲げた星がアルフォンス・ミュシャサラ・ベルナール」ポスターより大きくなっているが、「明星」を強調したのであろう。



アルフォンス・ミュシャサラ・ベルナール」ポスター


こうして、「明星」の挿絵とミュシャのポスターを比べてみると、文字の部分を書き換えた以外はほとんど複写したのと同じくらい違いがない。


このような例は、「明星」7号に記載されている挿絵にも見つけることができる。「ミヤウジヤウ」の文字も元のアルファベットの書体に近づけようと工夫されている。



「明星」7号挿絵



ミュシャ「サロン・デ・サン 1897年ミュシャ特別展」ポスター


「明星」第8号の表紙にもミュシャの影響は色濃く反映していることを見つけることができる。



一條成美:画、「明星」第8号(明治33年10月)表紙、煙草をユリの花に持ち替えてはいるが、下記の「JOB」を参考にしているのは明らかだ。 



ミュシャ「ジョブ」1896年