2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

下記の公開講座開講のための参加者数の途中報告があり、最少人数10名をクリアすることができ、開講が決定いたしました。皆様の応援に御礼申し上げます。

ミュシャとみだれ髪、公開講座開講の為の最少人数10名クリアの御礼

左)藤島武二:装丁『みだれ髪』1901〔明治34)年、右)藤島武二:画「蝶」1904(明治37)年 アルフォンス・ミュシャ「桜草」1899年 左右反対だが、花にキッスをしている横顔ということで、『みだれ髪」の』表紙や「蝶」と良く似ているのではないかと思われる…

実践女子学園生涯学習センター(JR中央線・日野駅前)で「美しい本の話- 装丁の魅力 -」講座を4月7日、14日・21日、3回(毎週水曜日15:00〜16:30)開設します。講座内容やご予約など、詳しくは下記のホームページをご覧下さい。

http://www.syogai.jissen.ac.jp/

実際に標本から写したもののほか、オディロン・ルドンの作品の模写も含まれており、ルドンの影響を受けているもの、と云われている。ルドンは確かに蝶の絵をたくさん描いている。その中から1904年以前に描かれたものが、『みだれ髪』に影響を与えている。

ルドン:画、「蝶々」1901年 ルドン:画、「ポール・ゴーギャン」1903~05年 ルドン:画、「白い蝶」1910年 ルドン:画、「蝶」1910~12年 このようにルドンは蝶の絵をたくさん描いており、「白い蝶」などは構図にも類似性があるように思えるが、はたしてルド…

藤島武二:画、与謝野晶子『みだれ髪』(新詩社、明治34年)の表紙絵について、は横顔や蝶などに影響を与えた作品についてのさまざまな推察があり、中でも『みだれ髪』が刊行された後に描かれた藤島の代表的作品「蝶」(1904年)との関連性については、すでに指摘されている。藤島は蝶を好んで描き油絵「蝶」を描いた頃から昭和初期頃まで描き続けた「蝶供養」という写生帖には2000羽におよぶ蝶や蛾が写生されている。

藤島武二:画、与謝野晶子『みだれ髪』(新詩社、明治34年) 藤島武二:画、「蝶」(1904年) 藤島武二「蝶供養」明治30年代〜昭和初期 藤島武二「蝶供養」明治34年代〜昭和初期

郵便振替口座00130-1-446096 大貫伸樹(オオヌキ シンジュ)

〒160-0004 東京都新宿区四谷4-24中島第一ビル9C

本誌は少部数発行のため一般書店には並びませんが、下記の書店に置いてあります。

・神保町=東京堂書店…………………Tel.03-3291-5181 呂古書房……………………Tel.03-3292-6500 三省堂書店本店4階地方小コーナー……Tel.03-3233-3312 ・内神田=書肆ひやね…………………Tel.03-3251-4147 ・池 袋=リブロ………………………Tel.03-5949-2931 ジュンク堂書店池袋本店…Tel.…

ご予約、ご購入は

〒160-0004東京都新宿区四谷4-24中島第一ビル9C 大貫デザイン事務所気付 本の手帳社 Fax.03-3225-0957 Email:md9s-oonk@asahi-net.or.jp ハガキ、FAX、Emailのいずれかで本の手帳社までお申し込みください。

●古書店主のたわごと

……堀口 稔(56-63P) と、写真や挿絵が盛りだくさんで、ビジュアルな紙面構成になっています。

●昭和初期の「左傾本」出版

……喜夛孝臣(46-55P)

●扉の前に誰かいる

─河出書房のカラー版『日本文学全集』のこと─

●ふたたび竹中英太郎のデビューのころについて

……中村恵一(24-33P)

●もうひとつの書肆ユリイカ

─伊達得夫と朝日書房─

●齊藤昌三が装丁する奇抜な素材を用いた美しい本

……大貫伸樹 (2-15P)

自費出版「本の手帳」8号がやっと3月30日に発売になります。ただいま鋭意専心印刷中!今号も学術論文にもなりそうな力作ぞろい、目玉原稿が盛りだくさん。(定価:本体1000円+税、A5判、64頁、郵送料80円)なお6号は完売となりました。

自費出版「本の手帳」8号表紙 目次を紹介すると、

しかし、海野弘は「黒田が帰ってくるのは明治34年の五月であり、藤島は同じ年の一月から『明星』に描きはじめており、この頃はほとんどアルフォンス・ミュシャの線をマスターしていたのだから、おそくとも前年の明治三十三年(1900年)にはアール・ヌーボー調のカットを描いており、おそらくは一八九〇年代後半、明治二十九年(一八九六年)、白馬会に入った頃から世紀末美術に触れていたと思われる。なぜなら、藤島は明治三十年前後に描いた『挿絵、カット帖』とよばれているスケッチ帖を残しており、ここには世紀末のポスターや雑誌から写し

さらに「ヨゼフ・サトレルの描いた雑誌「パン」(一八九五年)の表紙、トーマス・テオドール・ハイネの描く雑誌「ジンプリツィシムス」の表紙、セセッション展のポスター、グールビ画廊のラファエル前派展のポスター、ウィリアムス・ニコルソンの版画、その…

1901(明治34)年第6回展に出品した「造花」では浪漫風(情緒的装飾風)な表現を試み、それがちょうど与謝野鉄幹・晶子によって1900(明治33〕年に創刊された「明星」を中心に、文学界で高まってきた浪漫主義に呼応するということで、明治34年1月1日発行の「明星」第10号からアール・ヌーボー風の挿絵を描くようになり、11号からは一條成美に代わって表紙も描くようになる。このことが、美術と文芸の協調という複製芸術を評価しようとする風潮の中心に立つようになり、藤島は新たな評価を得ることになる。

藤島武二:画、「造花」1901(明治34)年 藤島武二:画、「明星」1901(明治34)年 一条成美の後を受けて藤島武二が最初に描いた「明星」の表紙。表紙は1年ごとに新しい挿画に変えられ、以後6年間担当する。 藤島武二:画、「明星」1902(明治35)年 アルフ…

藤島武二にいち早く西欧の資料を見せたのは誰か? という疑問は、藤島自らの言葉で解決することができたようだが……。多少の疑問も残る。

「私が本当に洋画を研究したのは、美術学校助教授に就職してからである。教務を為すの傍ら、黒田君の懇切なる薫陶を受けた。特に同君が友人の態度を以て親切に指導して呉れた雅量に感謝してゐる。久米君も亦直接、間接に技術上有益な忠告と助言とを与へられ…

実践女子学園生涯学習センター(JR中央線・日野駅前)で「美しい本の話- 装丁の魅力 -」講座を4月7日、14日・21日、3回(毎週水曜日15:00〜16:30)開設します。講座内容やご予約など、詳しくは下記のホームページをご覧下さい。

http://www.syogai.jissen.ac.jp/

藤島武二は、「蝶供養」「カット・下絵帖」「縮図帖」などのスケッチブックを残しており、これらに描かれた下絵を見ていくと、いかにたくさんの外国からもたらされたポスターなどの資料を目にしていたかがわかる。そして藤島武二がどんな画家に興味を持っていたのかを探っていくことができる。たとえば、「挿絵・スケッチ帖」の一部を広げてみると

藤島武二「カット・下絵帖」明治30年前後 ここに描かれている絵の元絵を探してみると「ジャポニズムとアール・ヌーボー」(朝日新聞社ほか、1981年)に、スケッチに描いた元となるポスターを見つけることができた。このスケッチを描いた頃は、まだ洋行の経験…

下にアップした画像をじっと観察してみてください。与謝野晶子『みだれ髪』表紙に描かれているハートの中の女性は、どう見ても日本人には見えない。明治時代ということを考えると、髪を乱した顔を人に見せるということは考えにくいことと思われるからだ。

与謝野晶子『みだれ髪』(東京新詩社、明治34年8月) 与謝野晶子 与謝野晶子はいつも髪を乱していたという話を読んだことがある。夫の与謝野鉄幹も「明星」8号(明治33年11月)に 秋風にふさはしき名をまゐらせむそぞろ心の乱れ髪の君 わが歌にわかき命をゆ…

実践女子学園生涯学習センター(JR中央線・日野駅前)で「美しい本の話- 装丁の魅力 -」講座を4月7日、14日・21日、3回(毎週水曜日15:00〜16:30)開設します。講座内容やご予約など、詳しくは下記のホームページをご覧下さい。

http://www.syogai.jissen.ac.jp/

昨夜、帰宅途中、片付はじまった閉店寸前の新宿サブナードの古書市に立ち寄り、偶然にも最初に手にした本が今一番欲しかったビアズレーの BEARDSLEY'S LE MORTE DARTHUR (『アーサー王の死』)だった。ウィリアム・キャクストンによる題名『アーサー王の死』は、このトマス・マロリー版原書(全8話構成)の最終第8話の題名「円卓の騎士たちの分裂とアーサー王の死」から、その一部を借用したもの。僅か数分間で迷わず購入した。

BEARDSLEY'S LE MORTE DARTHUR (『アーサー王の死』) 表紙 BEARDSLEY'S LE MORTE DARTHUR (『アーサー王の死』) 扉 『アーサー王の死』の仕事は1891年、肺病に冒されていたビアズレー18歳の時、姉のメイベルに強引につれられて、誰の紹介もなくバーン・…

実践女子学園生涯学習センター(JR中央線・日野駅前)で「美しい本の話- 装丁の魅力 -」講座を4月7日、14日・21日、3回(毎週水曜日15:00〜16:30)開設します。講座内容やご予約など、詳しくは下記のホームページをご覧下さい。

http://www.syogai.jissen.ac.jp/

水島勉氏によると「藤島の『蝶』という作品は1904年制作で、『みだれ髪』の少し後ですが、花に接吻をしている女の周辺を蝶がみだれ飛んでいるんです。近代的な造形行為の中で初めて接吻という行為がでてくる。花に唇をつけている女をバストショットで描いていますが、よく見ると、画面の外では胸をはだけているであろうと想像させますね。」(「ユリイカ」、2000.8)と、セミヌードなのではないかといっている。なるほど、目からうろこの指摘だ。隠れキリシタンならぬ、隠れヌードということか。

藤島武二「蝶」1904年 さらに「ミュシャやクリムトたちの絵画から刺激されつつ、日本の油絵としてはかなり大胆な表現をします。胸を出すなど裸体画の問題には、藤島の師にあたる黒田清輝も何度もぶつかるわけですが、ある意味で黒田よりもっとエロティックで…