「自由美学」の展覧会

「1894年2月、ベルギーの首都ブリュッセルにおいて、『自由美学』と題する大がかりな展覧会が開催された。これは10年ほど前から、オクターヴ・モースを中心に集まっていたベルギーの前衛画家グループ『二十人組』が新たに再編成され、再び出発する新しい門出の展覧会であった。しかし、そこに陳列された作品は、決してベルギーの作家たちの作品ばかりではなかった。


フランスからは、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、ピサロルノワール、ゴーガン、シニャック、ルドン等が参加した。オランダの画家トーロップが、ベルギーのアンソールと肩を並べていた。しかも、さらに大きな特色は、それが単にいわゆる「造型美術」、すなわち絵画、彫刻だけの展覧会ではなかったということである。


ウィアム・モリスが自分で装釘し、挿絵も描いた何冊かの本、オーブリー・ビアズレーの挿絵によるオスカーワイルドの戯曲『サロメ』、トゥールズ=ロートレック、シェレ、グラッセ等の作ったポスター、マイヨールの手になるタピスリー(綴れ織り)、ヴァロットンの木版画、ギュスターブ・セリュリエ=ボヴィの室内装飾、チャールズ・アシュビーのデザインになる匙、コップ、腕輪、その他の装飾品などが、絵画作品と同じように堂々と出品され、展示されていた。そればかりではない。


そこには音楽も一枚加わっていた。当時32歳の新進作曲家、クロード・ドビッシーの弦楽四重奏曲ト短調が静かに会場に流れていたのである。それは既成の権威や過去の形式にはとらわれない文字通り『自由な』美の饗宴であった。」(高階秀爾『世紀末芸術』紀伊国屋書店、1981年)