歴史の盲点

「198世紀の歴史は、新古典主義からロマン派、写実主義を経て、印象主義にいたるまで比較的連続した一つの流れを形成している。フォービズムに始まる20世紀美術史はさらにそうである。だが、ここでよく注意していただきたい。モネや、ピサロや、ルノワールが、当時の公のサロンに反対して独自のグループをつくり、いわゆる印象派展と呼ばれる展覧会活動を行ったのは、1874年から1886年まで、前後12年の間だけである。それも、1886年に開催された第8回展覧会は、そのメンバーから言っても内容から見ても、もはや印象主義と呼ぶことができないくらい最初とは変わっている。むしろその実質的内容から言うなら、1882年の第7回展が文字通り『印象派の葬式』であり、86年の展覧会はすでに反印象派的方向に、はっきりとふみ出している。


一方、激しい色彩表現によって『野獣』という名称を捧げられたフォーヴィスムの最初の登場は1905年のことである。印象派グループの解体から、ざっと20年という歳月が経過している。これだけ大きな年代的ずれを、歴史はどのようにして連続させているだろうか。これまでの美術史では、印象派からフォーヴィスムへの橋渡しをするこの期間は、現代絵画の生みの親となった何人かの天才たち、とくにセザンヌ、ゴーガン、ゴッホ、スーラの四人によって埋められていた。そして簡単に言ってゴーガンやゴッホの豊かな色彩表現からフォーヴィスムが生まれ、セザンヌやスーラの激しい画面構成からキュビスムへの道が開かれるとされていた。


……例えば、世紀の変わり目である1900年という時点をとってみよう。この時、これら四人の天才たちはどのような活躍をしていたか。少し年表をくってみればわかることだが、この時、ゴッホとスーラはすでに10年も昔に世を去っている。ゴーガンは1895年に文明社会に背を向けて南海の孤島に旅たったまま、ついにふたたびヨーロッパには戻らない。セザンヌにいたっては1886年、父の死後南フランスに引き籠もり、時どきパリに姿をあらわしはするものの、年とともにいよいよ人嫌いとなって、独りエクス・アン・プロバンスの田舎で黙々と制作を続けている。すなわち20世紀芸術の先駆者といわれるこれら四人の画家たちは、その20世紀がまさにあけそめようという時、芸術の中心であったパリとはほとんど無縁になっていたのである。


ということは、この頃のパリが芸術的に空白の時代だったということをものがたるのであろうか。現実はもちろん否である。それどころかこの時ほど多彩で活発な芸術活動が展開された時代は、歴史の上でも例が少ないといってよい。ただこれまでの歴史では、その点が充分にとらえられてはいなかっただけである。」(高階秀爾『世紀末芸術』紀伊国屋書店、1981年)