1901(明治34)年第6回展に出品した「造花」では浪漫風(情緒的装飾風)な表現を試み、それがちょうど与謝野鉄幹・晶子によって1900(明治33〕年に創刊された「明星」を中心に、文学界で高まってきた浪漫主義に呼応するということで、明治34年1月1日発行の「明星」第10号からアール・ヌーボー風の挿絵を描くようになり、11号からは一條成美に代わって表紙も描くようになる。このことが、美術と文芸の協調という複製芸術を評価しようとする風潮の中心に立つようになり、藤島は新たな評価を得ることになる。



藤島武二:画、「造花」1901(明治34)年



藤島武二:画、「明星」1901(明治34)年
一条成美の後を受けて藤島武二が最初に描いた「明星」の表紙。表紙は1年ごとに新しい挿画に変えられ、以後6年間担当する。



藤島武二:画、「明星」1902(明治35)年
アルフォンス・ミュシャの影響を強く反映しているのがわかる。