与謝野晶子はいつも髪を乱していたという話を読んだことがある。夫の与謝野鉄幹も「明星」8号(明治33年11月)に
秋風にふさはしき名をまゐらせむそぞろ心の乱れ髪の君
わが歌にわかき命をゆるさんと涙ぐむ子の髪みだれたり
と、晶子を「乱れ髪の君」と詠んでおり、9号にも
あな寒むとたださりげなく云ひさして我を見ざれしみだれ髪の君
と、晶子を「みだれ髪の君」と表現している。
晶子自身も『明星』第十一号(明治34年2月、96ページ)に発表した「落紅」という歌群に本名の代わりに「みだれ髪」というという雅号を使っている。
鉄幹の『紫』には、晶子を「乱れ髪の君」といって謳った句が8句あり、それらを考えると、表紙の女性は晶子の髪の様子を描いたもので、タイトルの『みだれ髪』は晶子の愛称からきたのではないかとする説もある。このようなことを考慮すると、「みだれ髪」というタイトルは、与謝野晶子自身の愛称である、という説が首肯ける。
かといって、挿画に描かれている女性が晶子の似顔絵であるとは言い切れない。写真を見る限り、いつも乱れた髪をしていたといっても、髪を結っていないわけではなく、ほつれ髪など気にしないということではないかと思われる。となると、現代の女性のように髪をなびかせているのは、晶子の肖像ではなく、画家の藤島武二が思い描いた女性像ではないだろうか。