久しぶりに高円寺の古書市に出かけてきた。戦時中にはうとまれた岩田専太郎の美人画だが、敗戦後は逆に髷物(まげもの)と呼ばれる時代劇が進駐軍によって禁止されるようになり、美人画に追い風が吹いてきた。ちょうどその頃、まだ焼け跡が残っていたのではないかと思われる昭和24年に刊行された「にっぽん」第12巻5号(「日本社」昭和24年)を見つけた。戦時中には表現の場を奪われてしまった専太郎だが、ここにフェニックスのように敢然とよみがえって来ていた。この艶っぽさはどうよ!!!いいですよね、専太郎は。


岩田専太郎:画、「にっぽん」第12巻5号(日本社、昭和24年)



岩田専太郎:画、「小説と読物」(桜菊書院、昭和22年9月)



岩田専太郎:画、「サンデー毎日」(毎日新聞社、昭和25年)



岩田専太郎:画、「サンデー毎日」(毎日新聞社、昭和27年)

まだ、他誌の表紙はうりざね顔の下膨れでふくよかな純日本風の美人画を採用していたが、専太郎が描く美人画だけは、鼻筋が通って、大きな瞳を引き立てる長いまつげや細く長い眉、おちょぼ口、こけた頬と、どことなくハーフっぽく欧米風に洗練された美人を描いており、際立って人目を引いている。表現技術の優れているのは勿論のことだが、この時代を先取りする嗅覚の鋭さと感性の違いが、専太郎のセンスのずば抜けてすぐれている所でもある。


他の出版社も手をこまねいて見ているわけには行かず、多くの出版社が、専太郎を目指し専太郎風の絵を描かせ、或いは専太郎に描かせるようになり、専太郎は多忙を極めるようになる。



松田富僑:画、「婦人世界」(ロマンス社、昭和24年)



宮本三郎:画、「主婦の友」(主婦の友社、昭和25年)



伊藤悌三:画、「婦人倶楽部」(大日本雄弁会講談社、昭和28年)


昭和23年に日本出版美術家連盟が設立されるが、その当時は人気実力ともに挿絵界の第一人者であり、戦前から挿絵界を牽引してきた功績からいっても、初代理事長に選任されるのは当然の事であろう。


日本出版美術家連盟の発起人メンバーもそうそうたるもので、岩田専太郎、鴨下晁湖、宮尾しげを田河水泡、田中比左良、小野佐世男、冨田千秋、川原久仁於、田代光、嶺田弘、清水三重三、細木原青起、寺本忠雄、須藤しげる、梁川剛の15名である。