岩田専太郎の妹・とし子

専太郎が大正9年に「講談雑誌」に挿絵を描くようになり、3〜4ヶ月もすると、「文芸倶楽部」など同じ版元の博文館から刊行されている10誌を数える雑誌からも注文が来るようになり、当時は大学出の月給が40円位だったが、下谷上野町に住む編集長の生田蝶介宅を探し訪ねあてた時から二度目の夏を迎える頃には専太郎の月収は100円を超えていた。


それまで専太郎は、後に産経出版局の社長になる前田重信の家に同居して世話になっていたが、前田の姉が嫁いだため、専太郎の妹・とし子を呼び寄せることにした。松太郎も重信も、背丈もスラッとして利口そうで才気走ったとし子の美貌に見せられてしまい、松太郎は頻繁に専太郎の元へ出入りするようになる。


 「信吉(*川口松太郎)が岩井(*岩田)兄妹の生活が気になり出したのも心の何処かでとき子(*とし子)を愛し初めたからだ。美しいものを愛する青年期の憧憬で、五日に一度ぐらいの割合で清島町へ行き、とき子の姿を見るのを楽しみにした。とき子は兄の命令通りに飯を炊き、味噌汁を作り、モデルになり、買い出しに行き、雑誌社へ原稿を届ける等々千吉(*専太郎)の奴隷になって働き、少しも不平をいわぬばかりか用事以外は無駄口もきかない。美しくってよく働いて、兄の為にも献身的で、うわべは冷たそうに見えながら、心の底には激しい情熱を燃やす女に見えている。信吉はだんだんとき子に惹かれていった。」(川口松太郎「飯と汁」講談社、昭和52年)と、専太郎と松太郎の友情が生涯続く一因が、妹の美貌もあったものと思われる。


そんな二人の淡い恋心は、思いも寄らなかった親友・前田によって破られてしまう。美人のとき子は美男の前田と結婚することになり、鳶に油揚をさらわれた二人は絶望のどん底に突き落とされる。それまで専太郎は、とき子をモデルにして描き続けてきたため、専太郎の描く女性像はとき子を描くことで作り上げてきた理想の女性像であり幻影でもあった。とき子の結婚は、その専太郎が描く女性像のイメージのよりどころを失わせ、描く気力さえも奪い取ってしまい、大きなスランプを迎える。


専太郎の絵は小手先の技術ではなく対象の焦点が決まらないと描くことが出来ず、空想だけでは生まれてこないため、思いを寄せることが出来るモデルの存在がどうしても必要であった。とき子が男を知ったと思う幻滅は、それまで作り上げてきた女性像を崩壊させ創作意欲を奪い、とき子を失った失望感は、考える気力も人生をも絶望させ、貧乏するのもしかたない、と覚悟させ描くことも仕事も放棄させた。