今年購入した三冊目の本は北原白秋の詩画集として名高い『桐の花』(東雲堂、大正2年)。左は復刻本。詩画集や画文集と云われる、本文と絵が一体となっている本があり、今のところお気に入りの詩画集(画文集)は5冊(復刻も含む)ある。『桐の花』のほか、与謝野晶子『みだれ髪』、中川一政『見なれざる人』、萩原朔太郎『月に吠える』、萩原恭次郎『死刑宣告』がその本だ。このうち『見なれざる人』と『桐の花』は著者が描いた絵が入っており、『みだれ髪』『月に吠える』『死刑宣告』は、画家と執筆者が別人のコラボレーションになっている。



北原白秋『桐の花』(東雲堂、大正2年)著者自装、装画:北原白秋。左は復刻本。右は大正8年に刊行された第8版。



北原白秋『桐の花』(東雲堂、大正2年)挿絵:北原白秋


この他にも、たくさんの画文集があるが、佐藤春夫、木下杢太郎、福永武彦等のように絵も達者な著者、逆に詩も書ける画家はたくさんいるので、画文集コレクションはかなり楽しく広がりがある。


私は、装丁デザインと、絵画という芸術の橋渡しをしてくれるものとして、最近注目しはじめた。一品制作である芸術品と複製物である装丁との間に差があるのだろうか? ある筈がない。装丁は美術品であることを論証する資料になってくれるのではないかと、期待を込めて集め出した。



中川一政『見なれざる人』(叢文閣、大正10年)表紙と口絵。装丁:清宮彬
本が破れているのではなく、このような破れた絵が印刷されている。



恩地孝四郎:装丁、田中恭吉:画、萩原朔太郎『月に吠える』(感情詩社、大正6年



田中恭吉:画、萩原朔太郎『月に吠える』(感情詩社、大正6年



田中恭吉:画、萩原朔太郎『月に吠える』(感情詩社、大正6年



藤島武二:装丁、与謝野晶子『みだれ髪』(東京新詩社、明治34年



岡田龍夫:装丁、萩原恭次郎『死刑宣告』(長隆舎書房、大正14年



岡田龍夫:レイアウト、萩原恭次郎『死刑宣告』(長隆舎書房、大正14年


福永武彦の絵はとても好感のもてるいい絵だ。線のタッチは稚拙だが、丁寧に観察して、丁寧に植物を観察し、感心しながら楽しそうに描いているのが伝わってくる。

著者自装:福永武彦『画文集 玩草亭百花譜』(『中央公論社』、昭和56年)



著者自装:福永武彦『画文集 玩草亭百花譜』(『中央公論社』、昭和56年)
福永は、自著自装がたくさんあって、そのどれもが、プロのデザイナーにはない、独自の世界を見せてくれている。盆栽に「文人造り」というどことなく弱々しいが、風情がある造り方があるが、福永の絵はそんな盆栽を連想させる。



(左)著者自装、福永武彦『夢百首雜百首』(『中央公論社』、昭和52年)
(右)著者自装、福永武彦『内的独白』(『中央公論社』、昭和53年)