2010-04-28から1日間の記事一覧

「夢二学校」に集まった東京美術学校の生徒たちが「月映(つくはえ)」刊行

田中恭吉、藤森静雄、孝四郎の三人が版画誌「月映」の創刊を思い立ったのは大正3年3月のこと。三人が表現手段として版画を選択した動機については、まずは夢二の本が木版画で作られていたこと、そして、夢二学校の仲間である香山小鳥が美術学校の本科への…

恩地は夢二がつくる水路に流れ込む水のように、『春の巻』の一読者から始まり、「都会スケッチ」「桜さく国」の投稿者となり、『悪魔研究』では装丁を手がけるというように、徐々に書物の製作者へと導かれていった。夢二の孝四郎に寄せる思いは強く、夢二の著書57点のうち、装丁を他人に任せたのは、孝四郎にゆだねた『どんたく』『小夜曲』『夢二抒情画選上・下』3点のみであり、孝四郎への信頼の高さが伺われる。なお、この頃にはまだまだ装丁家名を表記するのは少なく、まして執筆者と並記されるのは稀なことであるが、『どんたく』には竹久夢

恩地孝四郎:装丁、竹久夢二『どんたく』(実業之日本社、1913〈大正2〉年) 恩地孝四郎:装丁、竹久夢二『どんたく』(実業之日本社、1913〈大正2〉年)、竹久夢二の名前と恩地孝四郎の名前が並記されている前扉 恩地孝四郎:装丁、竹久夢二『小夜曲』(新…